2022年5月、6月にかけて素晴らしい舞台・ライブを体感することができたので、雑記としてここに残したい。
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5月5日 仕立て屋のサーカス(新宿ルミネゼロ)
書籍「したてやのサーカス(夕書房)」を、髙橋奈鶴子さんがFM桐生のラジオ番組で紹介していたことをきっかけに興味を持った。「まずは舞台を」と思い、書籍は「後で読むリスト」へ移行。しばらくして舞台をみるチャンスが巡ってきたので、すかさずチケットを手に入れた。
仕立て屋のサーカスって何?検索すればポコポコたくさん情報が落ちている。しかし、情報を拾っても拾っても実態が掴めないという不思議。
これは私だけかもしれないが、舞台(演劇、音楽全てにおいて)を「体感」することってほとんどなく、目と耳と頭で完結してしまう。演者にしか関心はなく、それで満足すれば終わりであった。しかし、仕立て屋のサーカスをみた時に「居心地の良さ」を感じたのだ。その現場にいる人にしか伝わらない穏やかな空気。それがずっと漂っている。赤ん坊が大泣きしても子どもがぐずっても、それすら舞台の一部になってしまう。それは、今までに体感したことのない舞台だった。
帰り際、一緒にみにいった髙橋さんに「お茶でも…」と思ったが、お互い頭と心を整理したく、駅で別れた。
ひと月以上経った今も、あれは何だったのだろうかと思う。またあの「居心地の良さ」を体感できるのだろうか。この感動を言葉で伝えたいのだが、私の語彙力では到底無理みたい。
6月11日 原田茶飯事ソロライブ(四辻の斎嘉)
昨年の12月にも同じ場所、四辻の斎嘉の蔵の中で原田茶飯事弾き語りライブをみた。今回は少しその時と違う感想を抱いた。
昨今の世間の出来事について言及した時の原田氏は、おもしろ関西人とは別の顔で深い言葉を発していた。そしてそこからの演奏は、『どうかしてるぜ』な世界の出口を探して『終末のドライブ』に同行しているような気分になった。言葉の一つひとつが胸に刺さる。やさしいのに力強い原田氏のボーカルとギターが、より一層深く刺してくる。
前回は「胸に刺さる」ということより「ゆったり、くつろぐ」気持ちの方が強かったのかもしれない。ちょっとウトウトしてしまったし(ちなみに、私は細野晴臣のコンサートでも居眠りをするので退屈ということではないのだ)。
『終末のドライブ』からアンコールにかけて、この時間が永遠に続いてほしいと願うほどの「居心地の良さ」を感じた。それは仕立て屋のサーカスの時と同様で、その現場にいる人にしか伝わらない穏やかな空気が漂う瞬間だ。
「90歳になっても続けたい」「高田渡、ジョアン・ジルベルトのようになりたい」と話していた原田氏。やっぱり、いつまで続けられるかってことですよ。その言葉に励まされたのは私だけではないはず。そうそう、原田氏の口(くち)トロンボーンも大好きすぎる(得意技!)。ぜひ、多くの人にこのライブを体感してほしい。
緊張感の先にあるもの
仕立て屋のサーカスの舞台、原田茶飯事のライブは両方とも観客との距離が近い。近いというか、境界線がない。その境界線がないことで「居心地の良さ」が生まれるのだろうかと思ったけど、ちょっと違うかもしれない。「居心地の良さ」は「アットホーム」とは違う。なぜならピリッとした緊張感があるからだ。
仕立て屋のサーカスSuzuki Takayukiが客席に足を踏み入れて布の裁断をする時、原田茶飯事が会場である蔵の中に登場して演奏を始めた時、背筋をピンと正すような緊張感が走る。それは演者の気力を受け止める覚悟のような緊張感。境界線がないから、より一層強く感じる。
勝手な思い込みだけど、時間が経つごとにその緊張感は和らいでいくと思う。緊張感というみえない境界線を飛び越えることで、ふわっとした穏やかな気持ちに変化して鑑賞することができるのかもしれない。
この短期間で、こんなに穏やかでやさしい空気に包まれた舞台・ライブを連続して体感できたことは奇跡としか言いようがない。この気持ち、少しですが皆さんにお裾分けします。