Column

追憶の東京〜地図のような文章〜
牧田編 曙橋〜四谷三丁目

GO ON編集人

ボノバシからツヤサンへ

20世紀か21世紀か記憶は曖昧だが、その頃、都営地下鉄新宿線曙橋駅から歩いて美術学校へ通っていた。靖国通りの出口へ降りて新宿方面へ歩いていく。駅前にはファーストキッチン、天丼てんやがあった。少し歩くと商店街がある。商店街をずっと歩いていくと東京女子医大病院に辿り着く。この商店街は昔フジテレビがあったため『フジテレビ通り』と呼ばれている。フジテレビ跡地はマンションになっているようだ。

この商店街の思い出は1つだけある。友人Mのお父さんが東京女子医大病院に入院していた。在学中の夏休みにお父さんが亡くなり、写真の課題に亡くなったお父さんの写真を提出していた。「私の夏の思い出だよ」という感じで。Mのまわりの友人たちは、私も含めみんな正直者なので「かわいそう」などと同情の声をかけるのではなく「M、何も言えねーよ」と感想を伝えた。その写真はモノクロだったような気がする。写真ってこういうものだよなって、生まれて初めて写真の意味が分かった出来事だった。

数分歩くと、美術学校が運営する小さなギャラリーがある。その横の急な坂道を登っていくと、通っていた美術学校がある。

学校へは曙橋駅と四谷三丁目駅(丸の内線)から通うルートがある。今回は曙橋駅と四谷三丁目駅の間のエリアの話をしよう。靖国通りと新宿通りの間、そして外苑東通りが交差するエリアになるだろう。

曙橋駅(ボノバシ)と四谷三丁目駅(ツヤサン)の間は、階段が多い。平地育ちの私は、街の中に階段があるということが不思議だった。と同時に、とても魅力的なものに感じた。ボノバシからツヤサンまで大した距離はないのだが、一度入ると迷い込んでしまうような路地が張り巡らす。

このエリアの名所といえば『セツ・モードセミナー』だろう。名所というか聖地だ。階段沿いに佇む蔦の這うその姿は、そこだけ切り取るとまさに「パリのアトリエ」。セツに詳しい友人が、熱心にその魅力を語ってくれたことを思い出す。

そういえば、ツヤサンの駅でファッション通信の大内順子さんを見かけたことがある。「なぜツヤサンに?」と思ったが、今考えれば合点のいく出来事だ。

『Mole(モール)』との出会い

学校帰りにカフェ巡りをする。といったことはほとんどなかった。それよりも色濃く記憶として残っているのが、首からカメラを下げて歩き回ったボノバシからツヤサンに向かうエリアだ。私たちはおいしいものを食べることより、街を散策して写真を撮ることに夢中だった。

階段、蔦の葉が這う壁、突如現れる池、路地、場末、そういった街の風景が断片的に蘇る。「あそこは魔界だよね」。そんな友人の言葉を思い出す。

「東京で好きな街はどこか?」と聞かれたら「荒木町」と即答する。『アラーキーが荒木町を撮る』なんて特集の雑誌もあったような。そういえば古いカメラ屋があったな。かつて花街だった荒木町は、小粋さと場末さが交差する不思議な街だ。

荒木町散策とセットで、必ず覗きに行っていた場所がある。ツヤサンの駅のすぐ近くに、ポツンと佇む小さな本屋があった。私たちは雑誌オリーブ(きっとそうだよね)に載っていたその本屋『Mole(モール)』へ、勇気を振り絞って足を踏み入れた。

写真専門の本屋で2階はギャラリーだったと思う。狭い階段の途中には「ご自由にお取りください」と書かれた古い文庫本が数冊あった(そういう本のセンスで店主の趣味が分かる)。

当時、私たちは神保町へも行っていた。しかしフランス書の揃う『田村書店』で怒られてから、敷居の高さを感じてしまった。だから「ここはツヤサンだから安心」という気持ちもあった。

1番のお目当ては『Mole(モール)』の横にあった別館『雑誌図書館』。神保町へ行かなくても、自由に手に取って昔の雑誌を読むことができた(利用時間の制限はあったような)。私はそこで、雑誌『an・an』が『ELLE』の日本語版として創刊したことを知った。この図書館は私たちにとって、本当に聖地だった。

『Mole(モール)』のお店の人に「函館は写真の街って言われているから、いつか行ってみて」と教えてもらったことがある(現在調べると『はこだて写真図書館』という場所があったそう)。しかし数年後、その店は閉店。私の記憶は遠い彼方へ飛んでいった。

未開封のイルフォードのフィルム。イルフォードで撮った写真は現像屋ごとに色味が異なるので楽しかった

それから20年以上経った昨年。『Mole(モール)』を知っている人と出会う。

函館出身だと話す彼女が『写真図書館』という言葉を発した時、「函館は写真の街」という言葉を思い出した。そして脳内が「ツヤサンのあの本屋」でいっぱいになり、名前が出てこないから一生懸命に説明をして『Mole(モール)』の名前を思い出す。そして彼女がオーナーと知り合いであること、『はこだて写真図書館』で勤務していたこと、Mole(モール)出版の写真集をいくつか持っていることを聞く。

しかし、その後彼女とは音信不通になってしまった。まだまだこの話をしたいので、これを読んでいたら連絡をお願いします。

写真を撮ること

学生の時は写真を撮ることが大好きだった。常にカメラを持ち歩いて写真を撮り、たくさんの写真展へ行き、写真集を買ったりした。学生の時に写真ゼミの先生に言われた言葉を思い出す。

「あなたの写真は、みてすぐにわかるね。そういう感覚は社会人になると忘れるからずっと持っていなさい」。

当時は意味が分からなかった。

しかし社会人になって1〜2年が経ち、先生の言葉の意味が分かった。私は写真を撮ることが嫌いになった。それからカメラに触れることは、ほとんどない。

商業デザインの仕事に就いていれば当然のことで、全て広告として「きれいな写真」「売れる写真」にしなくてはならない。建物の電線を消す、正しいパース、ゆがみを補正、色補正、邪魔なものは消す。商業なので当然だから理解はできるが、撮影があると次第に「今日は終電かな」という暗い気持ちになることが多くなった。現在は仕事だから割り切っているが、プライベートで写真を撮りたいと思うことは全くない。そもそも撮りたいものが何もない。

課題の提出はリバーサルフィルムが多かった

昔、冒頭で話した友人Mの写真をみて涙が止まらなかったことがある。

Mはおばあちゃんの写真を、おばあちゃんが亡くなるまで撮り続けていた。いつだったか新宿のガード下で写真展を開いたことがある。全ておばあちゃんのポートレート。泣いたり笑ったり食べたり怒ったり。大きく引き伸ばされた写真が、ガード下の壁に展示されていた。

私はとても感動して、気づいたら泣いていた。しばらくして横を見ると、見知らぬ女性が立っていた。写真をみながら「なんか涙がでちゃうわね〜」と言って、2人で泣いた。そして、なんとなく母親へ電話をした。今まで生きてきて写真をみて涙を流したのは、これっきりだ。

その後Mに報告をすると、関係のない言葉が返ってきた。「あそこカメラのシャッターが下りなかったよ!うちの死んだお父さんが来てるかも〜(笑)」。

この話を書きながら学生時代のカメラを出してみた。使えるのか分からないけど、このカメラを持って荒木町へ行けば、写真を撮りたいと思うのだろうか。その時は、何も気にせず本能の赴くままに撮りまくりたい。友人Mが撮っていた、おばあちゃんの写真みたいにね。

Creator

GO ON編集人 牧田幸恵

栃木県足利市在住。グラフィックデザイナー、タウン情報誌等の編集長を経て2020年12月にGO ONを立ち上げた。