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「シブヤから遠く離れて(岩松了)」だった2020年
考えてみたら、今年の1月以降東京へ行っていない。最後に東京へ行ったのは、確か代々木でのBARBEE BOYSのライブだったような気がする。
しばらく東京のことを忘れていたが、映画「ジオラマボーイ・パノラマガール」をみて「トーキョーってこんな場所だったっけ」と思い出し、まるで外国の風景をみているようなそんな感覚に陥った。
さらに、最近の渋谷パルコのざわつきよう。リニューアルオープンして1周年。それだけではない、雑誌リラックスの復刊である。リラックスの復刊に伴って、渋谷パルコでイベントが開催されているのだ。行きたいのに行けない、そんなもどかしさを胸に2020年のリラックスを眺める日々を過ごしている。
「リラックスの読み物ページみたいなWebマガジンをつくりたい!」そう思い、奔走している私。リラックスは「去年ルノアールで」→「オッス!帰宅部」→「君になりたい」→「モノクロのコラムコーナー」→たまに「コーネリアスの惑星見学」→「巻頭特集」を立ち読みして、「これは!!」と感じたら購入していた。せきしろ、渋谷直角は川勝さん(川勝正幸氏)とは別の視点で憧れる方たちだった。学生でお金のない時代なので、リラックスかスタジオボイスか迷っても両方買えないため、慎重に見極めていた(どちらかというと川勝さんのテキスト多めのスタジオボイスを買ってしまいがちだったが)。そう、リラックスの予告的な小さいサイズのフリーペーパーも魅力的だったな。
何を思ったのか、41にして突然サラリーマンを辞めフリーターに。挙げ句「リラックスの読み物ページみたいなWebマガジンをつくりたい!」ときた。どうかしている。
「一期は夢よ、ただ狂え」
尊敬する鈴木清順監督の座右の銘である。
いっそのこと私もその言葉に乗ってみようかと、シブヤから遠く離れた北関東の片隅で思うのであった。
カルチャーが生まれる場所は地元にも
シブヤから遠く離れたこの地では、カルチャーは生まれないのか。
「渋谷系(主に川勝さん)」の洗礼を受けて育った私には、東京以外の地で新しいカルチャーが生まれるなんて考えたことはなかった。しかし、ここ最近「半径10km圏内で新しいもの・ことの発見があるのでは」と考えるように。「POPEYE(2019年1月号シティガールたちよ!)」の「シティガールってなんだろう?」で長井短、土岐麻子、しまおまほが対談しているのだが、しまおまほのコメントに「自分の地元でいい店をみつけるのが一番のお洒落じゃない、とお母さんが言っていた」と。
これぞシティガールではないだろうか!女たちよ!シティガールたちよ!
(まぁ、伊丹十三監督には反対されそうだが。)
それからの私は半径10km圏内で楽しむ術を身につけるようになった。
長屋でパンクのカセットテープやレコードを販売していた青年、自分の店でライブをやったら観客に近所のおばあさんが集まってきてしまうシルクスクリーン屋、里山の近くで営むリラックスボーイっぽいカルチャーショップ、古本屋というか本当の古い本屋で昔のプレイボーイを買う「常識ある変態」、、、などなど。
今回コラムに掲載しているクリエイターの方たちとは、そのようにして出会ったのだ。
「自分のまちを盛り上げよう」目線が「地元スタイル」のように思われがちだが、Not「自分のまちを盛り上げよう」目線で、新しいカルチャーを生み出すことはできないだろうか、と考えている。
「GO ON」と「轟音」
轟音のごとくGO ONする。つまり「ずっと言葉の音が鳴り響くように」。
これが媒体のイメージだ。
昨今の「良さそうな写真をアップすれば、とりあえずオッケー」みたいな風潮に嫌気が差してきたのは私だけだろうか。
Instagramで「7日間ブックカバーチャレンジ」というものがチェーンメールのように出回っていた時があった。フォロワーが数人しかいない私にはもちろん回ってくることはないが、タイムラインにチラホラと。各々「センスの感じる本」を「オシャレ」に撮影しているわけで。私はそのタイムラインに「東電OL殺人事件」のルポルタージュをぶち込みたい衝動に駆られた。それはまるでBRAHMANのライブで、はじめはやさしい曲調だが途中で激しくなってもみくちゃにされて死にそうになったあの感じ、ソニック・ユースのライブの後半ノイズを掻き鳴らされて、もう帰りたいってなるあの感じ、もしくは鈴木清順監督作品の予告はかっこいいけど、本編が意味不明すぎて怒っている昔の恋人と喧嘩になった時のあの気持ち、、。そんな訳の分からない昔の記憶をぶち込みたくなる。
きれいな言葉で伝えるとこうだ。
「しんと静まり返る雪の中、イヤホンから流れる爆音の轟音ギターと甘美なメロディ」、
または「真っ白い雪の上に拡がる鮮血のごとく」。
それでは、本編をご堪能あれ。