Column

「人の作り話で笑えるなんて、あんた達幸せだね」(落語家)

ボンジュール古本

前口上
キングオブコント2022のファイナリストの一組に『最高の人間』というコンビがいる。吉住と岡野陽一というピン芸人どうしの即席ユニットで、所属事務所の先輩後輩、そして債権者と債務者の関係にある。元々コンビを組んでいない2人が、『最高の人間』とかいうなかなか最低なコンビ名でビッグタイトルの王者になったら痛快な気がするので、今週の放送を楽しみに待つ。というかこの原稿がアップされる頃、結果はもう出ているのだ。(キングオブコント2022『ビスケットブラザーズ』が優勝しました。おめでとう!)

※個人の感想です

最近、本や雑誌をあまり読んでいないため、自分の情報量が多くないと感じる。人なんて知識や情報等のネタがなければ、何も発信できないに等しい。

「お前と一緒にするな。私は、僕は書けている」と野次が飛んできそうだが、少なくとも私はそうだ。原稿を書くようになって初めてわかったが、無の状態からアイデアが湧き出てくるとか、何もない状態から何かを生み出すようなクリエイテヴィティはほぼなかった。

少しはあると思っていたのに…。浅いものだと感じたが、浅いのは私だけかもしれない。

…こういった言い方の自虐的な笑いは、2022年10月現在、ウケない。さげすんだりせず、どんな自分も受け入れていこうというスタイルが今っぽいようだ。

例えば、数年前には1人で行動する己のことを「ぼっちですが何か?」と自虐気味に使用する場面もあった。ところが今はどうだろう。全く違和感がなく、むしろ推奨されているため、これも笑いにならない。

代わりに(かどうかは不明だが)増えたのは<共感><共有>である。

ドラマ、マンガ、推しのライブ等を見る、あるいは友人と雑談する。めっちゃわかる、わかりみがやばいと言い合う。

たしかに私たちは人と話す時、相手に共感されるととてもうれしい。互いに気持ちが伝わっていると感じるし、共通の感情を持つことにより、さらに仲が深まっていくような気がする。悲しみや不安な気持ちを打ち明けたとしても、相手に受け止めてもらえたと感じ、精神的に少し落ち着いたりする。これらは本当にそう思った時であるならば、共感は相手との距離を縮め、より親密になる。

ところが、それによって起きた<共感疲労>なるものがあるという。人の苦しい気持ちに共感しすぎて、自身の心が疲れてしまうという現代の病なのだそうだ。共感も節度を持って行わないと、本末転倒ではないかとつっこみを入れたいところだが、多分これも笑いにならない。

これは、誰にでも何にでも共感したために起きた悲劇であり、現代の精神的な病について語る場合、よりセンシティブに扱わなくてはならない為、かなり笑いのネタにしにくい。

時代と笑いは、深く関係している。

りんりん倫理

例えば、相手に体当たりするドツキ漫才や、罰ゲーム等でよく見るハリセン、きついブラックジョークのコント…。数年前なら違和感なく行われてきたことも、今は全て<倫理的にナシ>になった。

映画等も、単純で誰でもどんな立場の人が見ても不快にならない内容が好まれ、小説でも、薬物や猟奇的な犯罪等の、危険な物事を扱う描写は特に嫌われるのだそうだ。虚構やフィクションくらい、どんな想像をしても、どんなつくりものでもいいではないか?どうやらそうはいかないらしい。

今より先、文化は豊かになっているのだろうか?

先月、劇作家の宮沢章夫が亡くなった。いとうせいこうやシティボーイズに芝居やコントの脚本を書き、演出をしていた方だ。

日常のささいな事からだんだん狂気に走っていく演劇や、重箱の隅をつつくようなじめっとした内容のコント、歴史をモチーフにしたシニカルな笑い、見た後にじわじわと思い出し笑いするような内容のものが多い印象がある。彼だったらこの先、どんなコントを作ったのだろうか?新作をもっと見てみたかったと思う。

2022年10月現在、今後、漫才やコントでネタにされていなかったようなことがたくさんあらわれるようになるのではないかと、楽しみにしている。

私は「有限」と「無限」は同義語だと思いたい。

今まで聞いたことのないようなネタを聞きたくて、今日も知らない芸人を見つけて初めての漫才を見るのだ。