Column

「板の上の魔物」(Creepy Nuts)

ボンジュール古本

「面白い漫才師だけが集まる大会をみられる!」

12月は年に一度、私が大変楽しみにしているM-1グランプリの放送がある。プロ・アマ問わず今最も面白い漫才師を決定する大会のテレビ番組で、2001年より始まり今年は16回目だった。
今まで優勝した芸人は16組、今も全員活躍中だが、特に有名な「好きなタレントNo.1」に選ばれた“サンドウィッチマン”もその1組だ。
番組に全く興味のない方でも、漫才師がステージ上へせり上がりで登場する時の出囃子はきっと聞いたことがあると思う。軽快なフロアサウンドだが、たまにテレビで聞こえると、
“街でハンバーガーショップをみつけて興奮した”ような気分になる。

「面白い漫才師だけが集まる大会をみられる!」

20年前の第1回目放送日、私は朝から大変そわそわし、放送時間を中心に1日のスケジュールを組んだ。極力予定を入れず、買い物も食事もさっさと済ませ、放送中は席を立たずに済むようお菓子などを用意して19時にはテレビの前に居座り、楽しく見届けた。
そして毎年、放送日の過ごし方は変わっていない。
因みに、昨年の放送日の昼間は編集長と会っており「夜、飲みにでも行かない?」という誘いに「今日はM-1をみなくてはいけないから」と丁重にお断りした。
今風に言うと「お断りさせて頂いた」。
「そんな大事な予定があるのなら、また今度」と言う彼女は呆れている表情にみえたが、きっと気のせいだと思い一目散に帰宅した。
こんな素晴らしい番組を、誰もが当然みているものと思っていた。
しかし第1回放送翌日、関東と関西では番組の視聴率に10%程の差があると知って驚き、
“ちょっと何言ってるか分からなかった”。

屍の山かきわけて

2年前のM-1放送日翌日、関西出身の某バンドボーカリストが「M-1の結果を自分で見届けたいので、SNSを開かず周囲の会話にも警戒しながら帰宅した、それほど楽しみだった」という内容をSNS上で呟いていた。関西人の関心の高さが窺えるが、反応は様々だった。
「え、そこまでするんですか草」「分かります!」「私の相方になってください」、、、。
今年の視聴率も、約10%のテンションの差は20年前とほぼ変わっていない。
そしてお笑いを好んでみる客層と芸人、お笑いの業界自体も、20年もしくはそれ以上おそらく何も変わっていない。
と感じていた。1年くらい前までは。

数年前、私が熱心に応援していた漫才師がM-1で優勝を果たした。ブレイクしそうでしない15年、ようやくの決勝だった。
「優勝して欲しいけれど、“賞レースで優勝”とかそういうコンビじゃないんだよな」などと思いながらみていた私は、優勝決定の瞬間嬉しさに泣き崩れ、そして恥じた。
今までなんと自分の都合良くみていたのだろうか。己の稚拙な基準だけで「この漫才師には一部のファンだけいればいい」とか、「栄冠は必要ないコンビ」などと決めつけていた。
偏りに気づいたら、そうでなくすればいいだけだ。すると、ぐんと世界が広がったような気がした。
この年から私のM-1の見方が変わった。
その翌年のM-1では、個人的に優勝はまず無いと踏んでいたコンビがぶっちぎりで優勝した。
興奮し、そしてまた恥じた。私の見方は今思えば全く変わっておらず、偏ったままだった。

誰が待っていたっていなくたって

よくスポーツ選手のファンの方々が「選手を『優勝させてあげたい』」と言ったりするが、私はこの言葉にとても違和感があった。
ファンができることはせいぜい精一杯応援するだけなのに、謙虚な雰囲気だがほんのりおこがましい。とても上からの物言いに感じるので『謙譲系エゴイスティック』と呼んでいるが、今はなぜか応援している対象にそう言いたくなる気持ちが分かる。費やした質量が重いと「私が何とかして差し上げたい、、、」という、いらない責任感が生まれてくる。
だが「○○をさせてあげたい」の個人的に考える適切な使用法としては、親が子に抱く感情、もしくは奉仕の精神強めの風俗嬢が客に抱く憐れみ以外で使う場は無いと思っているので、口に出して言う事は今のところ無いだろう。
あと「控えめに言って最高」という言葉をよく見かけるが、私が知らないだけで「控えめに言う方がいい理由」があるのだろうか?
「これは最高なこと。この上ない素晴らしさ」と全力で褒め称えていいのではないか?
・・・たった今インターネットで検索をしたら、超有名マンガの台詞を使ったネタらしく、ただ私が知らないだけであった。
“お前今それ関係ねえよ!”

20年前とは比較にならない程、今は笑いのスタイルも様々になった。昨年頃から急速に芸人と観客双方に、今までには無かった意識の変化を感じている。
私たちは「あの頃からシーンが変わってきたね」と後々言えるようなシフトチェンジ期を過ごすことになるだろうと思っている。
今年のM-1で、応援している漫才師の言葉が胸に刺さった。

「お笑いは、今まで何も良いことが無かった奴の復讐劇なんだよ!」

笑わせる側が報復するのに手段を選ばないなら、こちらもまた笑うために手段を選ばず、抱腹絶倒するまでだ。

番組のエンディング、優勝者を讃えるため、負けた漫才師達がそれぞれの表情で舞台上へ戻ってくる。声は聞こえないけど、笑いながら口の動きで「おつかれ!」と言い合っているのが分かる。
今までしてきたように、これからも「笑わせようとする人達」をみて笑うだけだ。
今風に言うと「笑わせて頂いている」。

“もういいぜ!”