Column

追憶の東京〜地図のような文章〜 その9
早稲田〜高田馬場 2

サイトウナオミ

地図のような文章、早稲田〜高田馬場編の続き。大学周辺のことを書きたいと思う。

早稲田大学は、街の中に大学がある。東大や明治なども都心の街中に大学があるが、4年間同じキャンパスで過ごせるのは早稲田くらいのものだと聞いたことがある。4年間同じ街の中で大学生活を送れるのはとても幸せなことだったと思う。

早稲田の街には、学生向けの飲食店や居酒屋がとても多い。とはいっても僕はサークルに入ってなかったので、先輩にそういうお店に案内してもらうということはなかった。友だちに誘われて何軒か連れていってもらうくらいであった。そして学生向けの食堂的なものは、主に本部キャンパスの方に多くあったので、ほとんど行ったことがない。

前回書いた「キッチンオトボケ」は文学部キャンパスに近かったので何度か行ったが、有名店「三品食堂」は一度も行ったことがない。チョコレートとんかつで有名な路地裏のお店には、一度だけ女友だちに連れられて行って、チョコレートとんかつを食べた。特に美味しくもまずくもなかった気がする。

大学周辺の名物店にはお世話にならなかったが、高田馬場へ向かう早稲田通り沿いのお店などには、ずいぶんとお世話になった。ということで、文学部キャンパスを出て高田馬場の方に向かってみる。

文学部キャンパスの前には前回も書いたが、穴八幡宮という神社がある。大学時代は、それほど気にしていなかったのだが卒業してから、穴八幡宮の一陽来復御守をもらって以来、今でもできるかぎり毎年もらいに行くことにしている。一陽来復御守は、冬至から節分の間までの約2ヶ月間しかもらえない期間限定のお守りである。長い冬が明けて春になってこれからいいことがたくさんやってくるよ!(サイトウ意訳)というようなお守りである。

文学部キャンパスの様子。穴八幡宮の隣のお寺のあたりから撮影
穴八幡宮の縁日の様子。手前後ろ姿は市川くん。その隣は大野くん

穴八幡宮のある交差点を高田馬場の方に早稲田通りを進む。少し坂になっている。坂の途中か上りきったところに銭湯があったと記憶している。そしてその銭湯の近くに、僕がバイトをしていた「MOZZ」の移転前のお店があったと聞いた気がする。その移転前の「MOZZ」には早稲田のジャズサークルが集っていて、大橋巨泉やタモリも通っていたらしい。

坂を上りきると、早稲田通りは左にグッとカーブしている。そのカーブの頂点から都電の早稲田駅へと続く道が出ている。そのカーブを曲がる手前には確か古本屋が一軒あって、曲がった先にはちょっとしゃれたお弁当が買えるお店があった。今ではすっかり変わってしまっているのでお店の名前もわからない。ここからしばらくまっすぐな道が続き、両脇に古本屋や居酒屋など様々な商店が並んでいた。確かまだ都内にもそんなになかったドン・キホーテがあったと思う。

しばらく進むと子育地蔵尊という小さなお地蔵さんがあって、そこの隣りがバイトしていたジャズバー「MOZZ」である。「MOZZ」での思い出を話し始めるととても長くなってしまうので、また別の機会で書こうと思う。

僕がバイトをはじめるまで昼間は開いていなかったので、入口はシャッターが閉まっていたのだが、一面はガラス張りになっていたので中の様子は伺い知れた。友人の市川くんと昼間通ったときに、この店はなんなのかね?と気になって、ある晩、勇気を振り絞って入ってみたのだった。

「MOZZ」の前に、ある時「一風堂」ができた。早稲田通りの反対側の路地裏には、牛骨がお店の前にかかげてある行列の絶えない牛骨ラーメンの店(名前はわからなかった)があったり、もう一軒のとんこつラーメンのお店もできたり、今では有名チェーン店となったタイ国ラーメン「ティーヌン」もあり、その他にも札幌ラーメンの「えぞ菊」、「天下一品」、さらには食堂「伊勢屋」(タンメンが美味しい)もあってラーメン激戦区ができあがっていた。まだ今ほどラーメンブームが起こる前の話である。

僕は、「一風堂」「えぞ菊」「ティーヌン」「伊勢屋」で食べることが多かった。「ティーヌン」は、時々学生半額みたいなタイムセールをやる時があったので、だいたいそういう時を狙って行っていた。まだ味が安定していなくて、熊みたいにでかい店長らしき人が作るときのトムヤムラーメンが一番美味しかった。「えぞ菊」は移転前のお店は汚かったし、おっちゃんが煙草吸いながらラーメン作っていたけど、今よりもダイナミックな味で美味しかった。学生サービスがあった。「MOZZ」で飲んでいて、お腹が減ると空いたのを見計らって「一風堂」にラーメンを食べに行った。

そんなラーメン屋がある地帯を抜けると、早稲田通りは明治通りで交差する。右に曲がると池袋に、左に曲がると新宿に行くことになる。この交差点の近くには、焼き鳥の美味しい居酒屋(かえるも食べられる)があったり、「みちのく」という名前の小さな居酒屋があった。「MOZZ」で店じまいまで市川くんと飲んでいたときに、はじめてマスターが「みちのく」に連れていってくれた。アーバンなジャズバーと「みちのく」という居酒屋のギャップがなんだかとてもかっこよかった。そこで食べたモツ煮(七味をたくさんふりかける)と深夜のテレビで流れていた「グラン・ブルー」のことを今でも時々思い出す。

明治通りを越えると、まもなく高田馬場駅に到着する。その間には早稲田松竹という映画館がある(フランス語の授業をさぼって女友だちと「さらば青春の光」と「トレインスポッティング」の2本立てを観に行った)。高田馬場の近くには「マイルストーン」というとてもでかいスピーカーのあるジャズ喫茶や「イントロ」というジャズクラブがあった。手ごろに食べられるイタリアンや、<まずい>がひっくり返ってる看板のラーメン屋「熊ぼっこ」などもあって時々利用していた。

そして、高田馬場の駅を越えて少し行ったところにプールバーがあった(名前は忘れた)。ここも「MOZZ」のマスターに教えてもらったのだが、夜に友だちのりょうじさんと出かけていって、ブラッディ・メアリー(ウォッカをトマトジュースで割ったもの)を飲みながら何ゲームかナインボールを楽しんだ。そんなことを何度かやっていた気がする。

とにかく今ほどおしゃれなお店が多くなかったが、気軽に入れる楽しいお店や何だかよくわからない謎のお店がたくさんあったような気がする。今ではほとんど知っているお店はなくなってしまったが、年に一度、穴八幡宮にお参りに行く時は「えぞ菊」で味噌バターラーメンを食べたりしている。

「みちのく」で観た「グラン・ブルー」が忘れられなくてDVDを買ったのだが、結局まだ観ていない。今度モツ煮を食べながら深夜に観てみようと思う。

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。