Column

追憶の東京〜地図のような文章〜
その6 御茶ノ水〜神保町 4

サイトウナオミ

前々回で、ようやく神保町付近まで来たので、今回はバイト先の「神田伯剌西爾(以下ぶらじる)」の周辺のお話です。主に食べ物屋の話。自分の記憶はかなり怪しいので資料として『神保町公式ガイド Vol.2』を手元に置いてはじめよう(Vol.2は2011-2012年版だが、20余年前のお店も今よりは残っているはず)。

ぶらじるは、小宮山書店という古本屋の地下にある。三省堂のある交差点から靖国通りを九段下の方に向かって歩いていくと、間もなく書泉グランデがあり、書泉グランデの脇の路地を曲がったところにぶらじるに降りる階段がある。ちなみに小宮山書店で僕はもっぱら文学のところしか見ていなかったが、多ジャンルの古書店だったと記憶している。ワゴンも充実していて、そこをチェックするのも楽しかった。

小宮山書店の隣には田村書店という文学系で有名な古書店がある。ぶらじるにバイトに来た際は、ほぼ毎回寄って店主の厳しい視線にドキドキしながらフランス文学の一角をチェックしていた。大学で研究対象として選んだアラン・ロブ=グリエの翻訳本を探していたからだ。そのほとんど変わることがないフランス文学の一角を毎回チェックしていると、時々、探していた本が出てくるのである。見つけたときは心の中で「まじかー」と小躍りをしたものである。僕のロブ=グリエコレクションの多くはここで入手したはずだ。

なかなか歩き出せなくて申し訳ない。

ぶらじるに降りる階段の入口の斜め前には、書泉グランデの裏側を通るさらに細い路地がある。路地を進むと右側には喫茶ラドリオがあり休憩時間などに時々利用していた。何か有名なメニューがあった気がするのだが忘れてしまった。さらに路地を進むとミロンガ(ヌオーバ)という喫茶店がある。ここは世界各国のビールを飲むことができる。もちろん友人の市川くんと何度か行って、世界一アルコール度数の強いビールなどを飲んだ思い出がある。ミロンガの先には別の路地との角に、夕方になると「兵六」というでかい提灯が出現する居酒屋があった。当時は、神保町周辺には飲み屋というものがほとんどなかったので周辺のサラリーマンの方で賑わっていた。残念ながら一度も入ったことがなかったと思う。

右側にあるのがラドリオ、奥に見えるのがミロンガ。その奥に兵六がある

ぶらじるのある小宮山ビルの裏側も、細い路地になっていて地下鉄の神保町駅までつながっている。その路地を歩いていくとカフェ古瀬戸という城戸真亜子(我々の世代は平成教育委員会でその名を記憶している)の絵が壁に描かれたカフェがある。一度だけ入ったことがある。しばらく歩くと路地が少し曲がる角にひとつ喫茶店があった気がするのだが思いだせない。そしてその先には名店さぼうるがある。半地下のあるさぼうるでは、凍ったいちごを使って作るいちごジュース(シェイクのような感じ)を、その隣のさぼうる2ではナポリタンなどの昔ながらの太い麺のパスタを食べた思い出がある。

さぼうるのある細い路地の1本南側には、すずらん通りという名の通りがある。三省堂書店の裏口側から白山通りまで、両側に本屋や飲食店などが並んでいる通りである。老舗の画材店である文房堂があったり、三省堂ほどは大きくはないが本好きの中では人気の東京堂書店、ぶらじるの同じ会社が経営していた喫茶ルノアール(何度か手伝いに行った)などがあった。食べ物屋さんは、キッチン南海(カツカレーが有名?)、たつや(牛丼屋、牛丼の卵とじがあって開花丼という名だった)、有名な餃子店スヰートポーヅ(いつかここの餃子を腹いっぱい食べたいと思っていたけど、何年か前に閉店してしまった)、ゲーム機をテーブルとして使っていた地下にある純喫茶ロザリオ(たしか、おかゆみたいのがあった気がするのだが…)などいろいろと思い出が多い。ロシア料理店もあってピロシキを食べたような気がするが、すずらん通りではなかったかも。

東京堂書店といえば、ぶらじるに毎日のように来店して、決まってキリマンジャロ(珈琲)を注文して、黄色いパッケージのピース(タバコ)をくゆらせる通称キリマンおじさんという東京堂書店の人がいた。とてもおだやかな人でいつも何か原稿を読んでいた。聞いた話によるとロシア文学の研究者か何かとのことであった。元気にしているだろうか。

このあたりには、他に三幸園という中華屋さんがあって、バイト終わりに時々先輩と餃子を食べながらビールを飲んでいた。他に喜多方ラーメンのお店があって、やはり餃子とビールで軽く飲むということが多かった。

今この文章を書きながら、Googleマップのストリートビューを見ていたりしたが、このあたりの様子もずいぶん変わってしまっているようだ。僕がぶらじるに行っていた時は、コンビニなんてひとつもなかったのに、今では普通にセブンイレブンなどがあった。何よりもスヰートポーヅの餃子がもう食べられないのが、本当に残念である。

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。