Column

私的村上春樹ブックガイド01
カルトについて 〜『アンダーグラウンド』『約束された場所で』あとがきを読んで〜

サイトウナオミ

はじめに

2022年7月の参議院選挙前に起こった元首相の襲撃事件が思わぬ展開を見せている。カルトという文字が久しぶりにニュースやワイドショーで流れている。「久しぶり」ということが驚きである。私が中・高生だった90年代は、数々の事件を起こしたオウム真理教をはじめ、カルトというものが今よりももっと近い場所にあった気がする。「そういうもの」が近くにあるから気をつけなくてはという意識をもっていたと思う。今でもよく街を観察すれば、新興宗教の拠点はけっこうすぐ近くにあったりするし、布教のために家を訪問してくる信者の方もいるが、テレビを中心としたマスコミでカルトや新興宗教に触れることは、90年代に比べ少なくなっていたような気がする。時々思いだしたように、オウム真理教の後継団体の話がニュースになるくらいで。

そんなことを考え、村上春樹作品に登場するカルトについてまとめようと思った。『1Q84』にはカルトや新興宗教が登場するし、「神の子どもたちはみな踊る」(『神の子どもたちはみな踊る』に収録)も新興宗教の宗教二世が主人公になっている。『1Q84』については、またゆっくりと考察することにして、今回は『アンダーグランド』と『約束された場所で』(*)のあとがきを読んでみることにした(実はこの2冊はまだしっかりと読んだことがないのだが)。この2冊のあとがきを読みながら、久しぶりにオウム真理教について思いだそうとしたのだが、数々の事件がいつ起こったのか正確に思いだせない。なので正確な時系列を調べながら、当時感じたことを思いだすことから始めてみた。

*『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』
『アンダーグランド』が刊行されたのは、地下鉄サリン事件から2年後の1997年。事件の被害者の方々に村上春樹自身がインタビューをしてまとめた本である。そして、その翌年の1998年に、今度はオウム真理教の信者と元信者にインタビューして『約束された場所で』が刊行されている。

オウム真理教について

オウム真理教という新興宗教について、自分がいつ知ることになったのか記憶にない。坂本弁護士一家殺害事件、衆議院選挙への立候補、松本サリン事件、地下鉄サリン事件などオウム真理教が起こした様々な事件は1995年前の数期間で起こったことかと思ってウィキペディアを調べてみたら、けっこうな年月をかけて起こっていた。おそらく地下鉄サリン事件から麻原逮捕までの間、毎日のようにテレビでサティアンと呼ばれた教団の施設の様子や謎のヘッドギアをつけた信者の様子など、オウムのこと取り上げていたので、その時にまとめて見た記憶がそうさせていたのかと思う。

下記、主な事件を時系列にまとめる。

●坂本弁護士一家殺害事件 1989年11月
●オウム真理教、衆議院選挙への集団立候補 1990年2月
●山梨県上九一色村で施設建設を進める 1992年頃
●松本サリン事件 1994年6月
●地下鉄サリン事件 1995年3月
●村井秀夫刺殺事件 1995年4月
●麻原彰晃逮捕 1995年5月

1994年の夏、松本サリン事件のあとに山岳部の合宿で北アルプスのある松本に行った。まだそのときは、謎の事件というくらいの認識だった。翌年3月、高校1年の終わりの時、地下鉄サリン事件が起きた。地学の授業を終えた時にそのニュースを知ったような記憶がある。兄がその春から東京の大学に進学することになっていたので、比較的「身近に起きた恐ろしい事件」として認識した覚えがある。

地下鉄サリン事件が起きるまで、私たちはオウム真理教のことをどのくらい知っていたのだろうか?事件が起きる前からテレビでの報道はどのくらいあったのだろうか?あの異様な衆議院選挙の選挙活動はどのように報道され、どう感じていたのだろうか?なぜ地下鉄サリン事件が起きるまで、あの異様な選挙活動があったにも関わらず、オウム真理教のことを世間は知らんぷりをきめこんでいたのだろうか?村上春樹は選挙活動の報道を見たときのことを次のように書いている。

〈私がそこで感じたのは、名状しがたい嫌悪感であり、理解を越えた不気味さであった。でもその嫌悪感がどこから来ているのか、なぜそれが自分にとって「もっとも見たくないもののひとつなのか」ということについて、そのときは深くは考えなかった。〉(『アンダーグランド』あとがきより抜粋)

そしてそのことについて、次のように分析している。

〈私が言いたいのは、「私たちがわざわざ意識して排除しなくてはならないものが、ひょっとしてそこに含まれていたのではないか」ということだ。〉(『アンダーグランド』あとがきより抜粋)

自分たちの中に、見たくはない「オウム的なもの」が含まれていて、それが形になって現れたので目を背けてしまったのでないかということだと思う。あの地下鉄サリン事件から、あと3年で30年となるが、今現在オウムの時と同じように目を背けたくなるものがあるのだとしたら、同じようなことがまた起こるかもしれない。そう思うと恐ろしい。

ジャンクな物語

話は少しかわるが、テレビでオウム真理教のことが多く報じられた時(それが麻原逮捕前なのか後なのかはわからないが)私は、オウム真理教という団体に興味を持った。多かれ少なかれ、その時の中高生はそういうものに興味をもったのではないだろうか。時代は1999年の前だったし。なぜ高学歴の人たちが、(テレビで報じているのを見るかぎりでは)オウムの提示する陳腐に見える世界観に惹かれるのか興味があったのだ。教団の出している本(日出ずる国とかそういうタイトルだった気がする)を見てみたいと思ったこともあり、そんな話をしたら親からひどく怒られた覚えがある。

村上春樹は、そのことについては「物語」という言葉を使って説明している。オウムの提供する(それはオウムだけに限らず、現在でも存在する人の弱さにつけこむ様々な)物語に自分の自我を預けることが楽なことであると。そのような物語に対抗できる有効な物語を提供するのが自分の小説家としての大きな命題としている。そして読者に対してこうなげかける。

〈あなたは誰か(何か)に対して自我の一定の部分を差し出し、その代価としての「物語」を受け取ってはいないだろうか?私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまってはいないだろうか?(中略)あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物語なのだろうか?あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?〉(『アンダーグランド』あとがきより抜粋)

自分の自我を預けるという話は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の世界に通じていて、制度=システムに人格の一部を預けるという話は、村上春樹がエルサレム賞受賞の際のスピーチ「壁と卵」に通じていくのだと思う。

※参考 エルサレム賞受賞スピーチ「壁と卵」日本語訳のページ

純粋な価値が放つ輝かしくて温かい光

宗教であろうとなかろうと、人はシンプルなものや純粋なものに惹かれやすいという傾向はあると思う。一部の新興宗教やカルトはそのような人の「弱さ」につけこみ、人の心に入りこんでくるものもある。村上春樹は『約束された場所で』のあとがきのなかで、元信者に「オウム真理教に入信したことを後悔しているか?」と質問する。すると、ほぼ全員が「後悔していない。入っていた年月が無駄になったとは思わない」と答えるそうである。その理由を村上春樹は以下のように分析している。

〈現世ではまず手に入れることのできない純粋な価値がたしかにそこには存在していたからだ。たとえそれが結果として悪夢的なものへと転換していったとしても、その光の放射の輝かしくて温かな初期記憶は、今も彼らの中に鮮やかに残っているし、それはほかの何かで簡単に代用できるものではないからだ。〉(『約束された場所で』あとがきより抜粋)

人が何か(それは宗教でなくても)強く信じることのできるものができた時に感じる心的状況を的確に表現している文章だと思う。誰しも「純粋な価値」が放つ輝かしくて温かい光を感じてしまうと、そのことを信じ、光の放たれる方向に盲目的に進んでしまうということは起きる可能性はあると思うし、それ自体は悪いことと言いきることはできない。

例えばカルトに入ってしまうことを「悪」として「あちら側」に置き、「善」なる自分たちのいる位置を「こちら側」としてわりきって考えてしまうとカルトや一部の新興宗教の問題はどこまでいっても解決しないだろう。あちら側とこちら側をわける線は存在しないし、自分の中にもそうなってしまう「闇(弱さと言ってもよいかもしれない)」があることを時には考える必要があるのではないだろうか。個人が何かを信じることに「悪」も「善」もないとは思うが、それが集団となりシステムとなったとき、よくない方向に向かうことがあるということなのだと思う。

おわりに

村上春樹は、初期の三部作のときから「人の弱さ」と「それに入りこむもの」についての物語が多いように感じる。それは、時には大事な人を死に向かわせたり、登場する人たちをひどく傷つけたりする。その「人の弱さに入りこむもの」といかに抗うかの物語といってもよいかもしれない。村上春樹がオウム真理教をはじめカルトに興味を持ち、作品に登場させたりするのも、そういうことと関係しているのかもしれない。そういう視点で村上春樹作品を読み直しても面白いかもしれない。

※おまけブックガイドあり!『ふやふや草』で読めるので興味のある方はぜひ!

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。