ある仕事に没頭しているうちに4月もあと1日で終わる所まで来てしまった。途中、鼻血がでたり眠らなかったりしたが、とっても愛おしい、いいものができた。
興味のあることに関すると、昔からおんなじやり方でそれが終わるまでのめり込んできた。身体はとっくに疲れているはずなのに脳が楽しいからもっともっとやっちゃおう!と暴走機関車的な指令を出してくる。30代半ばを過ぎたら、根を詰めると鼻血がサインとして出るようになったので、限界値が分かりやすくなってきた。
20代の時、休日、職場の先輩の家の庭で行われた楽しいバーベキューの場で、その先輩の何かが<視える>らしいパートナーが、突然そこにいた全員を順番に占いのようなものをし始めた。他の人がなんだかほほえましく笑えるような事を言われている中で、自分だけ「今のままじゃだめ。観葉植物でも育てなさい」と言われたのだ。その後はなんでもないフリはしていたが、石を飲み込んだように気持ちが重くなってしまった。
当時は言われても全くピンとこなかった。体力も気力も充分にあり、仕事もすっかり慣れて楽しさだけしかなかった時期だった。若さゆえの傲慢さもあったのかもしれないが、朝から晩まで働いて嫌なこともないしな、変なこと言われちゃったなと思っていた。
パン屋は肉体労働で、とりあえず糖と炭水化物があればよくて、朝はポカリスエット、昼は近所の箱そばか焼肉ランチ、夕食は残ったパンかポテトチップスか近所のお好み焼き屋さん、家に帰れば靴下も下着も放って眠ってしまうのだった。部屋はいつだって散らかっていたし、休みの日も職場にいた。それで何がだめなんだ、その時はそれでいいと思っていた。
学校を卒業してからは、興味のあることだけを仕事にできるよう慎重に選んできたので、長らくそんな感じで仕事に夢中になっていたが、ある時、1冊の本を読んで以来少しずつ確実に何かが変わってきた。
その本があの大変話題となった近藤麻理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』だ。読んでからは、それまで身体を横たえるだけの箱だった部屋が全く違う視え方となった。今まで読んできた、たくさんのどんなに好きな本で繰り返し読み返して大事な自分のエッセンスにはなり得ても、読前、読後で区切りがついてしまった本はない気がする。
わかりやすく1個だけあげるならば、それまではギャラリーショップのようにリビングのただのお飾り、というか手元にあるだけで満足していた古い洋食器たちを食卓に登場させられるようになったことだろうか。その食器たちをリビングから他の食器や調理器具と同じキッチンの食器棚へ置き場所を変えた。
そこから少~しずつ行動が変わっていった。買い物に出てインスタントではない食材を買い、傷まないうちに料理を作り、気に入った皿に盛り付け湯気のでたものを食べる。食後放って置くと染みがついてしまうので皿を洗い、乾いた翌日に食器棚へ戻す。そういう風にバラバラだった断片がつながって、仕事以外の<生活>が少しずつ組み立てられてきた。
外に出た自分は日々さまざまな人の目さらされるが、家の自分は誰もみていないから表向きは変わっていない、自分だけが知っている変化。基本的には服も食事も飽きるまで同じでいい。好きなことをずっと考えていたい。掃除や片付けや料理は特に好きなことではないので、鼻血が出るほど熱中はできないし、進んでは今だってやりはしない。だから家に帰って台所に立ち自分のための食事を作ることも、机をまっさらにしてからベッドに入ることも踏ん張りが必要だけど、何かこの部分、一歩億劫なことに足を踏み出すことが脳みその暴走を中断させてくれている気がする。
やりたいことについて、深く長く考えたり行動し続けるにはやっぱり身体が資本なのだ。その身体を脳は守ってはくれないので、矛盾するようだけど思考が続かないように全く関係ない動きを身体にとにかくやらせて(家事とかランニングとか)切り離す時間がないと、昔のように気づいたら疲れすぎて涙が止まらない、みたいなことになってしまいそう。生活は自分には筋トレという感じ。
今日、今まで5回くらい外れて、吊り下げていたものごと落下していたキッチンの突っ張り棒を支える留め具を付けた。100均で購入したものを壁に貼り付けただけなのだが。これでいつかまた同じことが起きる、という不安がありながらいつも違うことに捉われて目をかけていなかった。
今回は冒頭の仕事にかなり体力と神経がすり減らしてしまったので、バランスを取るために、より<生活>のニッチな部分に手を付けてみた。若干斜めにずれていた棒が留め具を付けた事でピシッと真っ直ぐになった。これだけで視界のストレスが減るんだな。
人生、好きな事だけしたいし考えていたいけど、そうじゃない部分も3割程入れ込むと全体的にみたら、まあ、なんだかいい気がする。
あの時バーベキューで言われた言葉の真意はわからないけれど、あんなことを人に言う占い師はやだなぁと思う。