先日の休みに村上春樹さんとのお仕事などでも有名な、アメリカ文学者の柴田元幸さん訳・編の『アメリカンマスターピース』を読んでいた。これは柴田さんが群馬県桐生市に来た時に購入したもので、後日大事に読もうと楽しみにとっておいたのだ。
その中の一編で『白鯨』で有名なハーマン・メルヴィルの中編『書写人バートルビー ―― ウォール街の物語』という作品を読んだ。
ジンジャークッキーしか食べない謎の多い男バートルビーは、語り手である雇い主の言う事を全く聞かない。ついに解雇されるがそれも拒否してそこに居すわり続ける。彼は終始、淡々と拒むだけだ。細かいことはともかく、けっこう滅茶苦茶でおもしろいので興味のある方は読んでみてください。
そう、人間には生きる権利も死ぬ権利も、食べる権利も食べない権利もあるのだ。そして自分の存在をおびやかす事柄には近づかないという権利だって、誰でも持っているのだ。
少し前に友達と家で飲み会をした時に、甘エビの刺身を食べたら喉から食道にかけて痒くなってしまい、半日ほど悶え苦しんだ。僕は花粉に加えて生エビのアレルギー持ちで、たまにあたってアレルギーが出てしまう。
その時は「もう絶対甘エビなんか食わねえぞ!食わねえからな(怒)!」なんて思っても、ついつい忘れて「危険な賭け」に出てしまう。毎回必ずあたらないだけに、余計にたちが悪い。
植物も生のエビも大好きなのに、すごく悔しくて嫌になってくる。アレルギーといっても色々で、食べ物または触っただけでなるもの、触らなくてもその空気に触れたり吸い込むだけでなるものまであるようだ。
ある蕎麦アレルギーの人は、旅行の時に突然ひどい痒みと湿疹に襲われ原因を探してみたらなんと、そば殻が入った枕のせいだったという。またあるゴーヤアレルギーの人は、ゴーヤを育てる園芸ネットのある窓際で昼寝をしていたら、片半身だけひどい痒みに襲われたという。
「そんなもん分かるか!?」という感じだけど、そういうものだから仕方ない。なんとも恐ろしい世界である。たまご、牛乳、大豆、米(米アレルギーって、どうしろというんだ!?)、花粉、金属、その他色々、アレルギーは我々アレルギー持ちに対して平等に恐ろしく、平等に理不尽に襲いかかってくる。これはもう、アレルギー持ちでないとその気持ちは分からない。
我々アレルギー持ちは、いつ襲ってくるかわからないその苦しみに恐れ、たえず防衛的意識を張り巡らせて社会生活を送らなければならないのだ。「アレルギーに打ち勝つ」なんて生温い夢は、とうの昔に捨て、現実と向き合いアレルギーとともに生きているのだ。
アレルギーは何も物質だけではない。
こんな話はしたことがないけど、「人物」や「言葉」のアレルギーを僕は持っている。どんなものかというと、まずすぐに「徒党を組もうとする人たち」である。そしてそういう人たちはすぐに「オレたち」とか「我々」とか「仲間」という言葉を使いたがる。
自分たちの存在や有意義性を誇示し、そして排他性によって他人に脅威をあたえ、そこに加わらなければ、その人はたった独りで孤立してしまうかのような幻想をあたえようとする。
僕はそういう人たちが決して嫌いなわけではない。嫌う理由もないし、ただ単にアレルギーだから近寄れないのだ。
先ほど「我々アレルギー持ち」という言葉を使ったけど、これは弱者として「アレルギーというものを共有している人々」として使っているので痒みはない。
その後、数年前から「ものづくり」という言葉にアレルギーが出てきた。「ものづくり」という言葉を語気を強めて口にし、あたかも「ものづくり」する「我々」が一番偉いかのように語る人に、ひどい痒みを感じるようになった。
あとは「こだわり」という言葉。ある人にとっては、ほんとにどうでもいいことが、他の人にとってはとても重要なことだというのはよく分かるつもりだし、時として「こだわり」とは人に感動さえあたえるものだと思うのだけど、僕は痒くなるので近寄れない。
僕にとってそこはタナトスが支配する果てしない荒野で、エロスの入る隙もない完璧な絶望の世界だった。
昔、ある物語に出てきた人間の皮をはぐ拷問のシーンを読んで、背筋が凍って風邪をひいて寝込んだことがある。これはほんとうの話だ。
何年か前に「ものづくり」グループの展示会みたいなのものに誘われて、みにいったことがある。引き込まれたら嫌だなぁなんて思いつつも、まあしょうがないので怖いものみたさで行ってみた。
会場で色々みてみると、なかなかおもしろくて「へー」と思うようなこともあり楽しかった。僕は造形物やアート作品のようなものをみるのは、そんなに嫌いではない。そうこうしているうちに「ものづくり」たちの頭目みたいな人が出てきて挨拶をはじめた。
「かくかくしかじか…これこれこういうとんちの効いたテーマを頭を捻って考えてさらにそこから何回転も捻ってこれこれこんなものをつくりました。どうだオレたちすごいだろう!」というような挨拶だった。
僕のような「ものづくり」でも無いし「こだわり」も特に無いし「我々」と言えるような「一党」にも入っていない人間にとっては、鉄棒とか跳び箱とかの競技みたいで、大技の何回転ひねりみたいなものは、全然分からない。
なんだか嫌な予感がしてきて額の右側からヘンな汗が流れてきた。そしてそのとき悲劇は起こった。
『ここには「オレたち」「ものづくり」の「こだわり」が全てつまっています!』
その時、僕にはこんな映像がみえた。
死神は微笑んでいた。
こういう合わせ技の場合カユみにひどいイタみも加わり、さらに恐ろしいサムけも伴うという「死の三段攻撃」である。
僕はヘンな汗でびっしょりになって、ガタガタ震えながら「ちょっと急用ができたので帰ります」と言って会場を後にした。
帰りがけに○クドナルドでビック○ックのセットを2つ買った。ドリンクはヨーグルトとチョコのシェイクにした。犬などが体調によって自分の糞を食べる習性があるように、僕はそれを車の中でむしゃむしゃ食べながら命からがら帰宅し、夢をみながら丸2日間眠った。
夢の中ではエロスとタナトスが血で血を洗う恐ろしい戦いを繰り広げていた。そこに広がるのは目を覆う地獄絵図だった。