Column

荒地に種を蒔く

kobayashi pottery studio

先日、工房を7年ほど借りていた場所から新しい場所へ引っ越しをした。
独立をするにあたり、手狭となったのが引越しの理由。新しい工房は、以前の場所から車で1分程度の近いところで、どちらも私が6歳から20歳まで住んだ街だ。

街といっても周辺は畑と家があるだけ。
夏になると日差しがアスファルトをこれでもかと熱し、数少ない日陰を渡り歩きながら下校した。秋になれば赤城おろしに吹かれ、枯れた大和芋の蔓の束が道にまで転がり込み、まるで西部劇の一場面のよう。

私が中学生の頃に開通した上武国道が南北に走り、旧国道354号線と交差する。交通量はそれなりにあるが、ロードサイド店舗は一切無く、2012年にオープンした『道の駅おおた』があるくらい。

本当に何も無いところなのだ。
10代の時、何も無いこの街を早く出たいと思っていた。

まるで荒野

まだ群馬へ戻る前、帰省した際に撮影した実家付近の写真なのだが、これを名古屋の友人に見せると「これどこ!?まるで荒野だ」と笑われた。周囲に大きな建物も無く、ただただ真っ平らで空が広い。岐阜の友人が遊びに来た時「空が広すぎて落ち着かない」と言われた。
ここで育った私には、山に囲まれた岐阜は空が小さく窮屈だった。

工房を開く前は「どこがいいだろう」と考えていた。街並みの景色、雰囲気のある建物、気晴らしに行きたくなるお店が近くにあるなど、色々と妄想は膨らむばかりだった。出かけた際には、どこかいいところはないかとあたりを見渡すようにしていた。
しかし、最終的に工房を何も無いこの場所にしたのは、自分が育った所ということはもちろんあるが、また別の理由がある。

新しい工房の入り口
工房の内装。この場所で根を張ろう

10代の頃は将来に向かって色々な可能性がある。ひとつの場所に留まらず、外へ出ることで様々な文化や価値観に触れ、経験を通じて得るものは多く、自分の成長に繋がった。20〜30代は東京・岐阜・名古屋で暮らし、多くの人との出会いがあった。今思えば陶磁器以外のことも多く学んだように思う。

そして群馬へ戻り、いざ自分で立とうとした時、今まで培ってきたものは小さな種として手元にある。その種をどの地に蒔いて育てるかは、自分次第なのではないかと思った。

どんなに肥沃な土地でも、育て方や天候次第で植物は育たない。荒地でもしっかり土を耕し、環境を整えれば作物は育つ。
なら私は、あえてこの何もないこの場所で根を張ろうと決めた。

Creator

kobayashi pottery studio 小林俊介

群馬県太田市出身。美濃焼の産地である岐阜県多治見市で陶芸を学び、陶磁器メーカーでデザイナーとして従事。2018年、地元太田市にてkobayashi pottery studioを設立。「暮らしに寄り添ううつわ」をコンセプトにうつわの製作をしている。