Column

慢で卑慢の春ごころ

佐藤一花

今回の煩悩は、6つの根本煩悩である慢(まん)の中の卑慢(ひまん)。
慢は、他と比較して驕り高ぶる。
卑慢は、自分の未熟さを知らない状態。

春ですね、春に負けてるんです毎年。
精神疾病を患ってる訳ではないのですが、メンタル要注意時期です。
アハアハしたり、忙しく追われればまだしも、時間があったりするとズンと来ます。

ずんの飯尾さんが、大好きなんです。
お笑いが結構好きな方ですが、中川家、島田珠代、千鳥、シソンヌぐらい好き。
私がどうにもならない感情になるのは、自己肯定感の少なさか、自分の未熟さを解るのが怖いのか。
ま、どちらもでしょうね。
ですよ!YO~YO~ですよ!はい、とぅいまてーん!
です、盃(はい)。(※先に謝罪)
ですよも和み系。和む。

基本末っ子な為自由な方では在るものの、わがままなのか、得意になって高ぶるのかと言われたら、余りそんな気持ちにならない性分だった。
ただ単に自分で掘って、自分で埋まって行くのは大得意。他者比。

で、今皆大人になって「肯定的得意な事って何ですか?」。
仕事だの、資産価値だの、イケてるパートナーだの、マウントとは別で肯定的部分。
小学校の時って、圧倒的に漫画の上手い子、笑わせるのが得意な子、給食と昼休みでスター性を魅せる子、マラソンになると強い子、とても面倒見よく優しい子など、自他共に称賛される得意なことへの認識があり、各々にマウントではなく、肯定していた。
小学生の時、同班のトミザワ君は笑って鼻から牛乳を出すのが名人芸で輝いていた。皆も笑って、給食食べられない程笑い転げた思い出(馬鹿にしたりは全くなく、スターなの!)。
はて、大人になるとどうでしょう?

自分は、多少絵を描いても、そんな上手い訳でもない。
コミュニケーション能力があっても、万人が寄ってくる訳でもない。
(※大概意気揚々に寄ってくる人は、早々に消える事多め)
いつの間にかそうやって、肯定できない事の方が多くなってきているではないか!
それが、春に負ける要因か。
身動きとれなくしているのは、全く自分なのに。
はたまた世界の超達人と土俵同じく比較し見ているからか。

自分ただ独り心地いい高ぶる空間。予感。
近年ポジティブ強要的社会と思ふことも多く、それはそれで鬱屈と煙い感じがして、ずんの飯尾さんの名言が頭をよぎった。

その1)怒りの鎮め方に、地図アプリで現在地を確認しどんどん広範囲にしていって、日本~世界、地球ってして「セイグッパイ」と云う。

その2)変な絡みをされた時は一切視野に入れない、精神的に引越しちゃう。これは逃げるんじゃない、精神的引越しだって。すぐに引っ越す、更新待たずに。

その3)イヤな奴に対して、いざとなったらぶん殴ればいいと思ってる。要は、いざとなったら縁を切る覚悟を持って人と付き合う。イヤだと思ったことを「イヤです」とはっきり云う事で、自分の機嫌を守る。

やはり飯尾さんは、ただならない男。
幼少期得意ごととは話ずれるが、距離取るのが上手、決してポジティブでなくても「自分の機嫌は自分で取る」と云う事。居心地を良くすると云う事。
常日頃からポリシーにしていたのに、数日は少しどこかへ逝ってしまっていた様だ。
且つ、大人になってからの得意な事も、其々にどこかに埋まっている。
得意な事と日常の共感を共有しやすいこの世の中だけど、自分の中心を感じているのか。
そこの軽薄さが、肯定感を減らして得意ごとを埋もれさせている。
私も何処の世界に属している訳でもなく、自分の自由さの反面、未熟さも良く分かっている。
他と比較して驕り高ぶれない事も。

そんな中、飯尾さんの言葉は、優しいな。
「転んだついでに由美かおる」な気分。

でも、飯尾さんはやはり女将コントが好き。チップを執拗にねだるヤツ。
女装着物姿も、結構グッとくる。

ふわふわのぽかぽか陽気な頃、飯尾さんのように低姿勢で穏やかに過ごしてみたり。
そして、私はファッションについてのコラムをいつ書くのかしら・・・と轟音ファッション担当と勝手に自負の自負しているのに。
頭の中でずっとそれが轟いて、眠れない(大袈裟)。「春ごころ」は、柏原芳恵。

佐藤一花

Creator

佐藤一花

1979年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、アパレル生産管理、販売などを経て、現在のオフィスアートレディ活動に至る。イラスト・コラージュ・立体作品を制作。群馬、東京、埼玉など全国各処で展示を開催。