Column

疑で顛倒の初体験

佐藤一花

今回の煩悩は、6つの根本煩悩である疑(ぎ)の中の顛倒(てんとう)。
疑は、あれこれ疑うこと。
顛倒は、物事をさかさまにみる。

わたくし54-71派

心底バンドと云うものは儚きもので、わたくしが復活を望むバンドナンバーワンの54-71。
当時は、男友達にLIVEや沢山あったレコード屋へ連れてって貰い、クラブよりLIVEへ行くことが楽しくなっている頃。
疑い知ることなく人気のナンバガには、わたくし一切理解しめさず、54-71派。
※当時このバンドは、向井氏により一気に世間に知られるきっかけとなった。

当時は、面白い大人達がいっぱい居て、激しくも唯一無二な人達がお手本。
音楽もオルタナティブロック、スカコア?(すかすかなハードコア※本人談だった気が)でしょうかね。自由で硬派で、今きいてもかっこいい音。
LIVEへ行くと、ビンゴ氏は美川憲一みたいなスパンコールニットやアディダスジャージで登場。
きゃーきゃーってバンドでは無かったけど、きゃーついてました。(男友達とは違う目線でも、、、本人格好良好)
そのビンゴ氏は、バンド、サムオブアスの小林さんと音楽レーベル、VICE Japanの立ち上げを経て、地方に目を向けた新しい事をし始めたそうです。

「情報イコール体験、になることはない」

そのビンゴ氏の言葉に、納得承諾。
「SNSも色々あるけど、結局追体験にしかなってない、そう云うのってどうなんだろう?」
って言葉もビビビならぬ、ギョギョギョ(さかなクン参照)。
この私のコラムも何らかの追に当たるかもだけど、一旦隣へぶん投げて。
逆方向からみてみると、当たり前に色んなSNSが居て、それらをみたり楽しんだりしているけど、結局実体験でしか、その本人の身にはならないのかな?と日頃より感じていた。
SNSで良くない出来事もあろう皆よ、そう云う部分でこの言葉は、そうだ~そうだ~と小躍りものでしたの。
特にSNS上では「あー追体験が実体験となって境目がボケてきてんじゃん、人の褌で相撲取ってんな」とか、「家族や親戚にでも自分の事思ってんじゃないかな?」な距離の人いますよね。
あたくしだけでしたら、ごめんなさいね。

追体験のバリエーションがやたら豊富になり、選択するのは行動ではなく情報で、じゃあ人は何を体験しているかっていうと、部屋にいて誰かの体験を鑑みている。
それを逆さまから疑いみる訳。
「情報イコール体験、になることはない」って言葉も、滝に打たれた様な無常観。
激しめの同意をし、全方向型に良い言葉だなと。
若年層に「行動や経験が全てとか古いっすよ!」と言われそうだけど、全てでは無いんだよ、君。でもね、、、悶々。

それでも幼少期の成功体験や努力達成経験が無いと、大人になってからも高い目標を持ちそれに努力すること、見通しを立てて順序よく物事を進めていくこと等の当たり前のことも行えないそうです。成功体験、経験からの努力達成の分野において。
あー怖、自分はどんな子ども時代だったのだろうか。今も若干ピーターパン風味。
体験って大事でしょう!推奨。
国民総SNSな世の中に変わろうとも、新世代価値観ニューウェーブが居ようとも、絶対的に人は変わらない「にんげんっていいな」の歌詞であるシンプルイズな世界が続くのだろうと。
いいね至上主義にはなりえない、何百年と変化なき人の営みと幸福観も。

不易流行(ふえきりゅうこう)
私の好きな言葉、不易流行(ふえきりゅうこう)も同じように感じます。

松尾芭蕉の俳諧理念が由来の言葉で、「不易」とはいつまでも変化しない本質的なものであり、「流行」とは新しく変化を重ねていくもの。
いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものを取り入れてくこと。また新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質である。
アレ?少し違いますかね。いや私の中では、一緒なんだよな、ビンゴ氏も。芭蕉も。

先見の明、世間を疑い逆さまから見ていても、正直突いてるというか、このお方達はきっと時代の必要な部分を示している現在進行形。
時の流れを逆さまに見たり、疑いを持って生き、表層の美しさだけでは無いものを感じちゃうの私!と云う思いになりました。
うん、私なりの前向き症候群、今年もスタートしていきますわよ。賀正。佐藤一花

Creator

佐藤一花

1979年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、アパレル生産管理、販売などを経て、現在のオフィスアートレディ活動に至る。イラスト・コラージュ・立体作品を制作。群馬、東京、埼玉など全国各処で展示を開催。