前口上
「好きな芸人は?」と聞かれた時にパッと思い浮かぶ人はいるだろうか?先日、私の周りの、お笑いや芸人等に特別興味がない、もしくはなさそうな人、全く他人どうしの3人にこれを聞いてみたところ、偶然にも全員「中川家」と答えていて、凄いなぁと思った。
中川家と言えば、数年前だが市民会館に出演するというので、みに行ったことがある。礼二がステージ袖から出てくるなり「今日はここまで、りょうもう号で来たんですけどね」と車内アナウンスの真似をしただけで、場内は割れんばかりの爆笑が起きた。このネタは、営業(地方のイベントや興行に出ること)先でも列車の路線名を変えれば、どこでも応用が利くのだろう。一瞬で客席を沸かせる芸を持っているのは、とても強い。
実際に今、礼二がアナウンスをしている様子を想像して笑った方、おられるのではないでしょうか?
contents
鳥肌実のネタも書いている人
漫才コンビ「米粒写経」のボケを担当する、居島一平さんという芸人がいる。早稲田大学の落語研究会で2人が出会い結成したコンビで、落語協会に色物として入会しており、新宿末廣亭や浅草東洋館など、定席興行にも出演している芸人だ。先日、毎月行われている居島さんのトークライブへ行った。場所は新宿二丁目のクラブで、行ったことのない未知のエリアだった。
トークテーマは様々で、前説とゲストの漫才師「ヤング」の持ち時間各10分程以外は、1人でたっぷり喋り続けた。
「長野市と松本市はなぜ犬猿の仲だったのか」「サントリーとキリンビールの企業合併計画が、直前で白紙になった話」など多岐にわたった。
ニュース番組のMCも務め恐ろしく歴史に詳しい彼の話は、流暢でメリハリがあり、全員客をがっつり引き込み、膨大な情報にも笑えるようにしっかりまとめていた。うすい話でも独自の味付けで濃く、短いエピソードでも肉付けして1本のストーリーのように聞かせる、これは居島さんが長年培ってきた芸だ。
例えば、何を出されるのかわからない飲食店に入り、唐辛子たっぷりのコプチャンチョンゴル鍋、山椒をどっさり振った鰻重、甘辛いたれの焼肉とネギサラダが順番に出てきて、すごい量だったけど全てきれいに平らげた、でももっともっと食べたい。みたいな気分だった。
「今回のトークライブは46回目って、赤穂浪士だね!」と言っていた。
この時ばかりは歴史にうとい私だけがぽかんとしていたと思う。
レジスタンス、時代を超える
最近、大きな疑問を感じたと言う。かなり有名な、高齢の落語家から「たがや」という演目のサゲ(最後のオチ)を変えたらどうかと、提案があったそうだ。「たがや」は、江戸時代から高座にかけられてきた大変古い噺のひとつで、桶のたがを抱えたたが屋と武士のやりとりだ。
両国で花火見物中、武士の笠をとばしてしまった町人たが屋。平謝りするも武士は許さず首をはねようとしたが、たが屋の抜いた刀の方が早く、武士の首が天高くスポーンと飛んだ。花火見物の群衆が「たがやぁ~」。これがおおまかな内容である。
「物語を今風にアレンジしたい」「話が物騒で現代に似つかわしくない」…などの理由を付け、提案したサゲが酷かった。話し合いで武士が町人を論破し、それを見ていた群衆が武士を胴上げして一件落着、というものだった。
居島さんはその日一番、憤っていた。
なにが古典だ、勝手に判断して歴史が変えられていき、こうして文化は廃れていくんだとキレ散らかしていた。平民が武士に噛みつく「権力への抵抗」が痛快なのだ。それを円満に終わらせ、しかも武士、侍を「理解のある人」に見せようとする。
寄席では円満解決など誰も聞きたがらない。庶民感情に何もうったえてこない噺には、意味が無い。客席が拍手で応えるなか、私の隣に座っていた男性が、おもむろに巾着袋から手拭いを取り出して、ステージに向かって掲げていた。
よく見ると薄紫の羽織、和装に真っ白な足袋、パリッとした雪駄をお召の、どう見ても落語家風情だった。手拭いには筆文字で何かが書いてあったのだが、私の見る角度からは、あいにく見えなかった。
今まさに、落語界への軽重が不明なディスリスペクトが目前で行われているステージ上への「いいぞもっとやれ」という加勢だったのか。あるいは「いいかげんにしとけ」の威嚇だったのか。そのどちらでもないのか…。
それを確認できなかったのは、心残りであった。
あ~、あの人ねってなります
数十年前、居島さんが寄席で落語を見ていた時のこと。ある若い前座が、ステージ上で噺の内容を忘れてしまい、凍りついている現場を見たことがあったそうだ。何より恐ろしいのは、凍てついている客席の方だそうだ。
…その数十年後。その若かった前座も真打ちになり、本を出版したそうだ。
本のタイトルは『落語家はなぜ噺を忘れないのか』。
気になる方は、探してみてください。