Column

「おもしろくない芸人なんていないんだよ!」
(お笑い芸人 蛙亭 岩倉)

ボンジュール古本

前口上
世の中には2種類の芸人がいる。「売れてる芸人」と「売れてない芸人」だ。
映画等でよく見かけるこの言い回し、自分もこんな風にいつか何かを語り始めてみたい…と憧れていた。語れる事などありもしないのに。
実際に使ってみたら、この一言を申し上げただけでかなり気が済んでしまった。よって書くこともなくなったので、今号はここまで。
…というわけにもいかないので続けますが、おひまな方はお付き合い下さいませ。

“売れてる”と“売れてない”

芸人の“売れてる”と“売れてない”の境界線として、メディアへの露出度や世間の認知等で判断される。私の目安として、自分の母親が知っていれば“売れてる”、知らなければ“売れてない”とざっくり分けているので、大半は“売れてない”扱いとなる。かなり偏った判断かもしれないが、誰しも自分にとって家族は、最も近い世間である。
ちなみに彼女は、ホストの帝王ローランドをお笑い芸人だと思っていたらしい。

売れれば安心するし、売れてないと応援したくなるのが芸人のファンの心情というものだが、ここ数年私が特に熱心に応援している芸人がいる。
彼らが出演するライブはできるだけ見に行っており、いつ見ても必ず会場全体がウケている。
最近は大手事務所に所属できたのだが、以前はフリーランスで活動しており、単独ライブの開催は、いつも「杉並区〇〇センター内の第一会議室」のような場所で行っていた。

昨年のM-1GPの敗者復活戦で視聴者投票の最下位を飾ったあたりから、急にメディアへの露出が増え始めた。他事務所の仲の良い芸人と共演するライブが開催されたり、若手芸人が出演するTBSのバラエティや、テレ朝のトーーーク番組にも出演を果たした。
舞台上ではガンガンに笑いをとっている彼らが、テレビの放送ではあまりウケていなかった。映っている時間の短さもあるが、番組司会者の様子から『この芸人をどう扱えばいいのか分からない』という雰囲気が感じ取れて、若手芸人が言うところの「爪痕を残す」ことができていなかったようにみえた。

自分1人では笑うことはできない

トーストに、バターといちごジャムを塗ったものと、それをより美味しく頂くために淹れたコーヒーがあるとする。ライ麦入りのトーストをこんがりと焼き、バターは塗るというより塊から5mm程カットしてパンにのせ、ジャムをその上に落とす。いちごの果肉と種を噛む感触、固形のまま感じる冷たいバターの風味、ライ麦の香ばしさ。一口かじって気が済むまで噛んだら、湯気の立つコーヒーで流し込む。1枚食べ終わるまで同じ事を繰り返す。

このような朝食をとるたび、これこそが文明だとひどく感動する。
小麦を収穫して加工しできたパンが食卓に並ぶ様子、自分が牧場で絞らなくても飲むことができる牛乳、現代のコーヒーの気が遠くなる程の様々なバリエーション。
文明は、食べ物に如実に反映する。

原始では、もしくは自分1人では、米を収穫して白米を炊くこともできない。
私が熱心に応援している芸人は、まさに文明という概念そのものであると感じる。私1人が存在しているだけでは、笑うこと、笑い合うことすらできないかもしれない。
そう思うと、お笑い芸人を見ずにはいられない。

例えばたった1人、無人島に放り出されたとして、自身だけで笑うことはできるだろうか?
できたとしたら、それは発狂した時かもしれない。
かもしれないと言ってばかりだが、この世は“かもしれない”ことで成り立っている。

「お勧め」という暴力

先日、ある活動のようなものに勧誘された。
知人の女性に「最近はいかがお過ごしですか」とたずねたら、たっぷり2時間一方的なお話しが続いた。言葉少なめなイメージがあったので少々面食らったが、帰り際4冊の本を下さった。
「貸して頂けるだけで充分です」と遠慮したところ「人に差し上げると御利益になるの。その本は持ってるだけでお守りになるよ」と言われ、違和感を感じた。その後、本のお礼に伺い「またお話聞かせてください」と、雑談するという意味で申し上げたつもりが、ご自身がなさっている活動についての話を聞きたいと思われたらしく、後日彼女の宅へ呼ばれた。

この時、まだ私は雑談しに行く程度の軽い気持ちでいたが、編集長に話したところ「行く時は警戒した方がいい」と言われ、そのような心持ちで伺ってみるとまた一方的な話が始まった。

今度『集会』があるのだが参加してみないかと言われ、その日は既に予定が入っていたため丁重にお断りしたところ『なぜ来られないのか』を執拗にたずねられ、『会員』だけでなく一般の方も参加できる『かなり貴重で特別な機会』で『入会金』が安くなるとか、やっぱり自分の性格ってそう簡単には変わらないけれど、本部から〇〇(名前のようなもの)を頂くと、心にすーっと染みこんで、すぐに自分が変われるとか、そんな話だった。
さらに『波動』『浄化』『エネルギー』というキーワードが多く出てきたあたりで、強烈な眠気がやってきた。

目が覚めると私は、山奥にある古びた山荘に運び込まれていた。
…なんてことはなく、一瞬話が途切れたタイミングを逃さず「今日はそろそろ失礼します」とだけ申し上げ、サッとその場を去った。

人は、自分が良いと思った物や感動したことを、人に勧めたくなるものなのだと実感した。
しかし私は、今までそうしてきたように、きっとこれからも、お笑いライブに行くことを人に勧めたりはしない。
“かもしれない”。