生きる目標が欲しい。最近そんなことを考える。
私自身の考えとして、生きる理由なんて無くても生きていていいのよという内容のコラムをずうっと前に書いた。「理由」と「目標」はここではある程度同じものとして考える。それはそれで結構なのだけれど、やっぱりそれらがあれば自身を動かす大きなエネルギーが生成されていく。GO ONという媒体を作るために奮闘している牧田編集長然り、そういうものを持っている人は強い。
そんなモノ人それぞれあるだろうが、例えば私はどうだろう。通常の人が持っている人生の目標があまりないようだ。全てのエネルギーはレコード探しへの欲求に変換されていく。
何に困っているかというと、レコード好きには避けて通れない、レコードの置き場所問題に困っているのだ。以前のコラムでレコード棚が1段ほぼ埋まったことと、もう1段がまるまる残っていることを伝えた。しかしそれ以降もレコードはじわりじわりと増えている。1段120枚として、月10枚買うとしても1年で満タンだ。レコード置き場が無くなり、レコードを集めることも出来ずに生きる目標が無くなった与良典悟はやはり死に至るのだろうか。ちょうど29歳くらいになって死ぬ計算か。考えるのも恐ろしい。
今後どうやってレコードを集めていけばよいか、脳内会議が始まる。既に次の段にも新たなレコードが入りつつあり、詰めたところであと100枚くらいだろう。余命を少しでも伸ばすため、1つの作戦を立てた。なりふり構わずレコードを集めるのではなく、「名盤」に絞ってちまちまとレコードを集めるのはどうだろうか。そんな名案が頭に浮かぶ。レアな名盤に限定し、更に集めにくくしても良い。限りある人生、名盤だけを聴いて過ごすのもいいじゃないか!
…ところで「名盤」ってなんだろう。明確な定義が無い。それこそ聴き手の主観に左右されてしまう。ソレハアナタノ主観デスヨネ、なんて軽口を言ったら争いが生まれそうだ。正直に話すと、ビーチボーイズのペットサウンズとか、私自身よく分からない名盤もある。何だかいろいろ面倒になってきた。
ふと現在のレコード棚を見返すと、大名盤として評価されている作品がそこまで入っていないのに気付いた。なるほど名盤を避けてレコード探しをしてしまったわけで、定義など分からないはずだ。
時に知り合いから教わるおすすめを信じ、時にレコード屋さんに騙され未知の作品を買っていく。価値の分かりきった名盤だけだとやっぱり寂しいし、未体験のレコードを買って感想を言いあったりすることは、何よりも楽しかった。だから、棚の中には作品の出来のよしあしよりも、そういう収集の過程も含めて印象に残った作品が残っている。名盤もいいけれど、それだけでは退屈してしまう。そんな風に少し考え直した。
ここで趣向を変え、死ぬまでに手に入れて聴いてみたいレコードのリストを作ってみたが、これがなかなか楽しかった。絶対見つからないものを30枚、頑張れば手に入るもので30枚。ここで60枚を固定し、あとの40枚は好きなレコード屋さんで少しずつ適当に買おうなんていう風に決めた。
しかし絶対見つからない1枚として選んだ山下達郎の『SPACY』は今夏にあっさり再発されることに気づき、予約したりしたのですぐに何枚か埋まってしまっている。リストに従ったところでレコード棚が埋まるのは思っているより早いのかもしれない。
再びレコード棚を眺めてみる。J-POP、インディーロック、ソウルミュージックに現代音楽と自分なりに分けた様々なレコードのコーナーがあり、見ているだけでも楽しい。お店に並んでいるだけでは特に意味のなかったレコードたちが、私の棚に入ることで、思い出の詰まった大切なレコードとして再定義されていく。
物量で勝てない私は、終わりのない世界に対してどこまでも「セレクト」で挑んでいくしかない。たとえ残りがたったレコード100枚の幅であったとしても、だ。最後の隙間にはどんなレコードが並ぶだろうか。その小さな幅にも、小宇宙のように沢山の可能性が詰まっているはずだ。埋まるのが寂しい一方、今後どんなレコードが入っていくのか、考えるとワクワクして仕方ない。
好きなレコードで棚を埋める。全てをその欲求に賭けていくことが、きっと私の「生きる目標」なのだ。悩まされることもあるだろうけれど、これからもこの気持ちを大切にしていきたい。
余談だが、2段目に入った数枚のレコードを眺めてみると、中途半端さが気になって仕方がない。きっちり埋まった1段目の美しさが絵画のように際立っている。2段目を埋めるには、やっぱり時間がかかるのだろう。なんだかむずむずしてしまった。