Column

貪で狂のオフィスアートレディ

佐藤一花

先日、「GO ON」編集長と打ち合わせをしてから、大分経ってこの文に至っております。
昨今のディスタンスがらみ事項は、他の方にお任せしておいて、毎度108個の煩悩達に擬え、ついでに私自身のことも少々。

6つの根本煩悩である貪(とん)の中の狂

『貪』は、好きなものに対する激しい要求。
『狂』は、心が千々に乱れること。
既に、今回の依頼を伺った時から私の心は大乱れ。日本語大概おかしい私(本当は三島由紀夫みたいな日本語への憧れ)しかも、ずっと言葉の表現から逃げてきた私に、文章を書いて欲しき依頼。ゾワゾワと鈍痛な緊張感と共に数日考慮。ずーっと苦手だったのですよ。言葉って。コンセプトありきは不要無用と思っていた時もあったし、言葉の上塗りによる他人には辿りつかない独り相撲感が堪えられなかった。一方的に切り出す、履歴書の自己アピール欄の様な独り相撲ほど滑稽なことは無いと思っていて、なかなかの内観的乱れっぷりでした。そんな中、数人の友が「言葉であっても自己表現には変わらない。やってみたらいい」と背中を押してくれたこともあり、PCに向かっております。
しかし苦手意識の裏返しとして、勿論言葉への憧れは盛大にあるじゃないですか、皆。言葉を操る天才的小説や歌詞、ラップで韻も踏んでみたいと思いつつ、千々に中年になってしまいました。

「オフィスアートレディ」への道

何故かとなれば、自分の中心である「オフィスアートレディ」活動があるからでしょうか。
遥か昔の服飾学生の頃、服制作過程で生じる冷めていく心、俯瞰で見るとどうしようもなくドダサい感にさいなまれ。
それから解放されたい一心、情熱がより一層絵に向かわせるきっかけとなりました。
それなのに、デザイン画から派生したファッションイラストを描く捻くれっぷり、周囲気にせず現実ロマン逃避行で刹那をモットーに、言葉で表現できない何かを作り描く作業にハマっていったのでした。
卒業時は服一着もつくらず、絵の展示で卒業させろと周りどん引きの円満卒業。
それが全ての始まり、今で言う「拗らせ」と言うやつです(正に千々に乱れ時期)。
冷静に、誰からも分かってもらえてない状況には慣れていて。今もそうか。
されど、己の片割れ探しの様に制作することがパワーインザワールドな感覚は変わらず。
10代で学生の頃、友と「常識ある変態」がベストだという会話を今でも覚えています。
会話にならない程の重傷人物も、ラリパー達も。だけど、私がストンと落ちる処は上記。
今は自分の周りの人達も、その様になっている不思議(高環境感謝!)。
田舎に戻り、やっと自分の時間ができたことを良いことに、アート活動を再開したのでした。これこそ、煩悩である強い要求に似ている。
勿論、大真面目な仕事もしているので、オフィスレディであるわけで。
とある日、己の肩書きの気持ち悪さについて、友人作家との電話で誕生したのが「オフィスアートレディ」でした。
帆布バッグを縫う彼女は「帆布作家」が嫌。
私は「コラージュ作家」が嫌。じゃぁ何なんだよと、ポンポン笑いながら出たものでした。
因みに彼女は「形屋(かたちや)」ソーグッド。
それから自己紹介の時には、名乗る様にしています。
それこそ「常識ある変態」ぽくて、気に入っています。芸術家でもないし、イラストレーターでもない。真面目な変な人社会人枠。
煩悩の好きへ激しく、忠実に、心大いに乱して作りたい物を制作中。

自由に変幻自在なコラージュ

現在主にコラージュを用いることが多い訳は、自由さをより感じられるからでしょうか。
パーンと一気に上がれて、それ無しでは死んじゃうので、これからも制作していくことと思います。自由に変幻自在に。
でも、結局煩悩と同じように湧き上がる部分は昔から変わらないと思うんです。
私が芋中学生の頃から無くならない、ファッション、アート、音楽への要求。
今でも話しちゃうのは、タクヤエンジェル、マサキマツシマの行方、ギャルソンの格好良さや、何年代の服がどうとか、音楽がどうとか。
現在も続く、ちゃんぽん状態ごった煮系範疇模索の結果から私は今に至り、個人でコソコソとわーやばーと絵を描いている訳です。
ちっせーことで千々に心の乱れることしかないですけれど、制作で整う感。
それでもきらめく空を見上げたり、麗しい季節を感じて透明になったりしつつ、オフィスアートレディとしての私は、好きな表現に向かっていくのかな。
最終が大分壮大になってしまったので、これでお終いに。また次回。佐藤一花

Creator

佐藤一花

1979年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、アパレル生産管理、販売などを経て、現在のオフィスアートレディ活動に至る。イラスト・コラージュ・立体作品を制作。群馬、東京、埼玉など全国各処で展示を開催。