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子どもの日に成人映画をみる
子どもの日に『愛のコリーダ』をみにいった。
「どうだ、大人が羨ましいだろ!」という気持ちで「大人って最高」と思った。
「大人って最高」だけど「大人って最低」。日々それらは紙一重。
そう、長生きしていると良いことがある。
DOMMUNEの宇川さんにフォローされたり!
大島渚監督の『愛のコリーダ』が全国上映されたり!!
『愛のコリーダ』は、上映時間の8割ほどセックスをしている映画だ。それが全国で公開されている。素晴らしい。
『愛のコリーダ』は日本とフランス合作映画である。
フランスに留学していた友人が「深夜テレビで放送されていたのをみた。無修正だったけど」。また『ラ・ブーム』のワンシーンで「『愛のコリーダ』だってみたわ」と得意気に言う少女。いつだってフランスは遥か上をイっている。
悲しいかな、無修正版の『愛のコリーダ』は、現在日本にいる限りみることができない。
21年経って分かったこと
「最近」とは、いつからいつまでのことを言うのだろうか。
2000年。21年前だ。そろそろ「最近」にカウントしてよいのか迷う時期。
2000年。私は渋谷シネ・アミューズイースト&ウエストで『愛のコリーダ2000』をみた。
21年前、私は男女のセックスをみていた。快楽そして絶頂の行く末は死ぬことだと学び、「エロスとタナトス」について考えた。
21年後、私は男女の恋愛映画としてみていた。定と吉蔵の気持ちに注視し、「愛」について考えた。
定のセリフ「みんな変態だって言う」に対して、年配の芸者が「そんなことない。愛し合っているから当然。うらやましい」と返す。
このセリフで、ふと思い出した。増村保造監督の『妻は告白する』だ。
彩子のセリフ「あなたのために何もかも犠牲にしただけ…。年に1度でもいい、それがダメなら3年に1度でもいいから会いたい」に対して、別のシーンで彩子との関係性を疑われた幸田の婚約者が「私だって、あんな風(彩子のように)にあなたを愛したいわ」と言う。
定と彩子に共通するものは「純粋・純愛という名の凶器(狂気)」ではないか。
しかし、それは悪なのか。
『愛のコリーダ』で定と吉蔵のセックスをみていると、次第に今ここでセックスをしていない自分がおかしいのではないか、100%『愛のむきだし』ができない私の方が、人生を窮屈にしているのではないか、と思ってくる。みんなはどう思うのだろうか。
愛についての答えは出ないが「純粋・純愛という名の凶器(狂気)」という偏見は捨て去ろう、そして『人のセックスを笑うな』。
吉蔵という男について
吉蔵は女のユートピア。身体も心も全てユートピア。だから消えてしまう(死ぬ)。まぁ存在していたらいたで困る。
感情の起伏が激しい定に対して、吉蔵は感情を表に出さない印象がある。しかし寝る時に「俺が寝るまで見ていてくれ」と言うシーンがある。
2000年には気づかなかったが、このセリフに吉蔵の中にある孤独感を垣間見ることができる。吉蔵にとって定は母親のような存在でもあったのだろうか。
私はこのシーンが1番好きだ。よくスチール写真で使用されているのだが、美しさと狂気、絶望と孤独など様々な思いが交差している。
藤竜也が格好良いのは当然だが、松田英子の魅力に気づいた2021年。冒頭のシーンで老乞食にみせる微笑み、なんて妖艶!そして見落としていたのだが、芹明香!冒頭で定の布団に入ってくる女は芹明香なので、見落とさないように。
そんな私が上映したい映画は、もうお気づきですね。
『愛のむきだし』です。3時間 57分あるので、これ1本にします。
「変態」という言葉で一括りにすることは、誰だってできるし簡単なこと。もっと奥深く「愛」について考え、自分と向き合ってこそ「大人」なのさ。
大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』と『愛のコリーダ』の上映についてはこちらから。https://oshima2021.com/