Column

スピッツを求めて

与良典悟

大学3回生の夏だっただろうか、驚くべきニュースが入ってきた。私の下宿がある群馬県前橋市の隣、高崎市に新しいレコード屋ができるというのだ。名前は「September Records」。レコード屋を目指して高崎線に長時間揺られながら、わざわざ東京に出向いていた私には衝撃だった。

その年の9月にSeptember Recordsはオープンした。レコードの在庫が多すぎたのか、最初は7インチシングルだけを置いていたのを覚えている。それでもたくさんのレコードフリークたちが開店日から押し寄せていた。かくいう私も、大学の講義をすっぽかし片道10km、1時間以上の坂道をおんぼろのママチャリを漕ぎながら、開店初日にやってきた1人である。

当時はレコードの再生環境が無かったので、よく分からないバンドの7インチを記念に買って帰った思い出がある。でも何ヶ月かしてレコードプレイヤーをきちんと買ったあたり、自分がレコード趣味に走るようになったのはSeptember Recordsのおかげなのかもしれない。

September Recordsについてである。
オールジャンルのブツを揃えたレコード屋で、特に当初からソフトロック等を押していた気がするが、自分にとっては日本のアーティストのレコードが充実していたのが魅力的であった。

初めて見たフリッパーズ・ギターのレコードはまるでルーヴル美術館のモナ・リザの絵画のようだったし、夏になると大瀧詠一のロング・バケーションのレコードが壁一面にびしりと並ぶさまは壮観であった。それ以外にも定期的に素晴らしい入荷があった。当時学生だったので、手も届かない値段のレコードも少なくなかったが、そういったものを見に行くだけでもなんだか楽しかった。

スピッツのレコードも素晴らしい入荷の1つだった。暑い季節だったと思う。10年以上前に発売されたスピッツの、「スピッツ」~「フェイクファー」のレコードがなんと一挙に入荷したのだ。ツイッターで見たお店の壁にはスピッツのレコードが並んでいた。これはなんとしても欲しい。そう思ったのだった。

私にとってスピッツは、特になじみ深いアーティストの1つである。さわやかなメロディと、どこかせつなく抽象的な歌詞を歌う草野氏のボーカルが好きで、聴くたびに何かが始まりそうな楽しい気持ちになる。彼らを知ったのはずいぶん前のことで、物心つく頃には両親の運転する車のカーステレオからスピッツが流れていた。「ロビンソン」「空も飛べるはず」「チェリー」などの名曲を聴いては、今日は車でどこへ連れてってくれるのだろうか、とワクワクしたものだった。

そういうわけで、学校終わりにスピッツのレコードを求めSeptember Recordsに直行した。狙いは「フェイクファー」のレコードである。本作品は「クリスピー」以降にスピッツが深めた大衆性というテーマにおける、1つの区切りのような作品だと思っている。セルフプロデュース作品であり、初期のスピッツがやりそうな歌謡曲みたいな曲もあるし、多くの人が気に入るであろう「楓」「運命の人」のような曲も含まれている。正直ごちゃごちゃしているかもしれないが、自分は好きだ。

さてSeptember Recordsに到着したが、「フェイクファー」はそこには無くなっていた。それとなく店長に聞くと、既に売り切れたようだ。アルバムの出来もさることながら、希少価値が他と比べちょっと高く人気らしい。真っ先にお目当てが売り切れてしまい残念だったが、壁に飾ってあった第2希望の「ハチミツ」のレコードを見て再び驚愕した。

お値段が高いのであった。ちゃんと覚えていないが「ハチミツ」はお財布の中の予算を優に超えていた。軍資金として貯金箱から出した、なけなしの10枚の500円玉では到底払えなかった。というか他の作品も5,000円では買えなかった気がする。世界の厳しさを痛感し、その日は帰路に就いたのだった。

それから1ヶ月ほど経った日に、今度は「ハチミツ」が買えるだけのお金を貯め直し、自転車にまたがりSeptember Recordsへ向かった。開店時間に到着し、真っ先にお店へ入ったが時すでに遅し。「ハチミツ」は売り切れていたのだった。いくら高いとはいえ90年代の大名盤である。予想はしていたし、しょうがないという思いもあった。

こうしてB級スプラッタ映画の登場人物のごとく減っていくスピッツのレコードであったが、今回お金を用意したうえで、まだ他の在庫が残っていたのは幸いであった。残っていたのは、「スピッツ」「名前をつけてやる」「クリスピー」「空の飛び方」の4点だったと記憶している。

店内で脳内会議を繰り広げたうえで、初期の大名盤「名前をつけてやる」と、自分の好きな曲がたくさん詰まった「空の飛び方」、どちらを買うかで絞り、後者を買うことに決めた。買う前に試聴させていただいたが、「空の飛び方」のきれいな黄色いカラーレコードから大好きな曲が流れていたのはやはり感動した。少し高かったけど、いい買い物をしたと思ったのだった。一方、店内で喜ぶ自分を置いて、店の外では別の問題が起きていた。

現在自分の住んでいる栃木県もそうだが、群馬県は雷雨の多い土地である。山に囲まれた平地では夏に空気が温められ上昇気流ができやすく、それが積乱雲を作り強い雨を降らせるそうだ。私も群馬県在住時には何度もひどい目にあった。

その日の天気は晴れのち曇りと予報されていた。行きは坂道だが前橋方面へ向かう帰りは下り道であり、自転車でも少し楽をして帰れる。さあ帰ろうと外に出ると、目の前には黒く大きな入道雲が広がっていた。何ならどこかでカエルがゲコゲコ鳴く声も聞こえる。マズいと思った。田舎の人には分かると思うが、これは雨の降る前兆である。

しれっと雨マークが追加されたスマートフォンの天気予報アプリに憤慨しながらも、急いで自転車を走らせた。なぜかリュックの中には前橋市のごみ袋が入っていたので、そんなものに入れたくなかったが、「空の飛び方」をゴミ袋でくるんだうえでリュックにしまい、帰路を急いだ。

話のオチだが「空の飛び方」は無惨にもずぶぬれになってしまった。結局雨が降り出したのは下宿まであと1kmくらいの地点だった。引き返し近くの橋の下で10分程雨宿りをせず、ごみ袋を過信して進んだのは大きな間違いだったと思う。レコード自体は濡れても聴けるもんねと負け惜しみのように思ったが、それなりのお金を出した分、やっぱり精神的にとても来るものがあった。

ずっと後になって、September Recordsの店長には購入した「空の飛び方」がずぶぬれになってしまったことを話した。激怒されるようなことは無かったが、その場において、驚きと悲しみ、そして諦めの雰囲気が漂ったことを今でも覚えている。改めて、ひどいことをしたと思った。

濡れてしまったジャケットに関してであるが、結局ジャケットは乾いて何とか形を保ったものの、カピカピになってしまった。経験がある方は分かると思うが、濡れてカピカピになってしまったジャケットは曲がってしまい、レコードを入れたり出したりするのが面倒だ。

現在は買ってきた白い無地のジャケットに、「空の飛び方」の黄色いレコードを入れてある。無地のジャケットには後に絵を描くことにした。ネズミと車とネコの絵である。

ネズミは「不死身のビーナス」の、ネズミの街という歌詞からイメージして描いた。それだけでは寂しかったので、ネズミを車に乗せた。車はもちろん、名曲「青い車」からイメージを貰った。黒いマジックで描いたので青色でも何でもないのであるが、心の中では青い車のつもりだ。猫を描いた理由は特にない。

この世界に唯一ともいえるジャケットを描いたことで、一度はボロボロになった「空の飛び方」が、思い出のたくさん詰まった自分だけのより大切な作品になったような気がする。

現在も「空の飛び方」が大切なものであることに変わりはない。家で大事にとってある。時々レコード棚から引っ張り出しては聴いたりもする。よく分からない落書きの描かれたジャケットから出した、黄色いレコードがターンテーブルの上で回るのを見るたびに、私はこのレコードに関する一連の出来事を思い出すのである。

Creator

与良典悟

栃木県佐野市在住。知らない町の知らないレコード屋さんに行くのが好きです。