Column

追憶の東京〜地図のような文章〜
その5 御茶ノ水〜神保町 3

サイトウナオミ

前々回に続いて、御茶ノ水駅から神保町に向けて歩いていきたいと思う。

東京に出て最初に住んだKビル最寄りの駒込駅(または上中里駅)からバイト先の神保町の神田伯剌西爾(ぶらじる)に通うのに御茶ノ水駅を利用することが多かった。そのため御茶ノ水駅から神保町まで、神保町から御茶ノ水駅までの500mくらいのこの道を何度も歩いた。そんな道の記憶です。

御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口を出ると交差点があり、そこから神保町に向けてはなだらかに下っていく。明治大学の前を通る明大通りである。4車線の太い道で両脇に大学や病院や様々なお店が並んでいる。交差点の近くには楽器屋が多く、ギターやウクレレなどが売っている。高校の時にこの中のどこかの楽器屋でとても安いウクレレを買った(『エーデルワイス』を弾けるようになったが、ほどなくして弦を巻くところが壊れてチューニングができなくなった)。

楽器屋の並びにはギャラリーのようなものがあり、ひとりで歩いていると、きらびやかなお姉さん(田舎から出てきた青年にはそうみえた)に声をかけられる。「美術に興味はないですか?」と。誘われるままにギャラリーに入ると、イルカが描かれているような絵を売りつけられそうになる(都会は怖いところだ)。もちろん買わなかったし、もう2度とそんな誘いには乗らないと心に誓った。

東京に出てくると、そういう洗礼のようなものを何度か受けることになる。そうして、いろいろな誘いをクールに断る都会の人になっていく。

その楽器屋やギャラリーが並ぶ界隈を過ぎた通りの左側には、回転はしていないけれど、まあまあ手ごろな値段で食べられるチェーンのお寿司屋があった(築地とか魚河岸とかそんな感じの店名だったと思う)。時々、お金に余裕があるときに行っていた。

あるとき、偶然そこで高校の部活の後輩がバイトしていた(広い東京でそんな再会もある)。さらにしばらく行くと、吉野家もある。この吉野家が確か東京で1番はじめに入った吉野家だったと思う。しばらく、この吉野家にはお世話になる。その隣にはディスクユニオンがあった気がしたのだが、不確かな記憶である。

そして通りの右側には、今となってはどんな建物だったかはよく思いだせないのだが、明治大学の古くて大きい校舎があった。それがいつの間にか解体されて、リバティタワーという立派なタワーが建った。その古い校舎を残そうという運動もあったかと思うけれど、自分の学校ではないので、何も言えなかった。

バイト先の明大の先輩の話によると、このリバティタワーの眺めのいいところに学食があるそうだ。連れていってはもらえなかったけれど。

リバティタワーを過ぎたあたりには、ミスタードーナツがあって、夏にここで氷コーヒーカフェオレを飲んだ記憶がある。さらに進むとカレーのエチオピアやキッチンカロリーがあったと思う。ここのキッチンカロリーにも何度もお世話になった。そして明大通りよりもさらに大きな靖国通りとぶつかる。

靖国通りに出て向かって左に行くと秋葉原方面に、右に行くと神保町方面に行くことになる。神保町方面に行くことが多かったのだが、秋葉原の方に歩いて行くことも時々あった。いわゆる電気街までの間にはスポーツ洋品店が並ぶ(主にスキーのお店が多かった)。

神保町方面に靖国通りを渡ると、全集が置いてある古本屋があって、その隣が前回に登場した三省堂書店のビルである。しばらく行くと書泉グランデがあり神保町の古書店街がはじまる。三省堂を神保町と逆の方向に行くと、書泉ブックタワーという大きな本屋もあった。そしてこのあたりのどこかにガラスが割れているとても美味しい洋食屋があった。名前も場所も覚えていない。

明大通りのミスタードーナツのところで、バイト先の神田伯剌西爾(ぶらじる)の方に向かう近道となる路地がある。この路地のどこかのビルの2階にジャニスという有名な貸しCD屋さんがあったはずだ。何度かそこでいろいろなCDを借りた。

路地が突き当たる通りは錦華通りといって、坂を上って行くと御茶ノ水から水道橋に向かう道に出ることができる。錦華通りのどこかに、とんこつラーメンのお店があったと記憶している。錦華通り沿いにある小学校の隣に錦華公園というちょっと素敵な公園があって、バイトの休憩時間に錦華公園に行くこともあった。

明大通りは、バイトに向かうときに急いで歩いたり、バイト終わりの夜道を歩いたりでゆっくりと散歩という感じではなかったけど、記憶に残る通りのひとつである。

(注)この界隈は当時(20数年前)からお店の並びが大きく変わっているようで、お店の場所の記憶は間違っていることもあると思う。間違いに気付かれた方はご一報いただけるとありがたいです。

Creator

サイトウナオミ

地図描き/ふやふや堂店主。群馬県桐生市出身。東京・京都を経て2012年秋より再び桐生市に住む。マップデザイン研究室として雑誌や書籍の地図のデザインをしながら、2014年末より「ちいさな本や ふやふや堂」をはじめる。桐生市本町1・2丁目周辺のまちづくりにも関わり始める。流れに身をまかせている。