Column

残されたもの
(The Last Thing Left / Say Sue Me)

HIROYUKI TAKADA

2022年7月。
フジロックフェスティバルに出演する韓国のインディー・ポップ・バンド「Say Sue Me」を心待ちにしていた。少し前から気になるバンドで、ポップさとインディ感溢れるバンドアレンジ、静と動の対比から繰り広げられる奥深さが、とても気に入っていた。

さかのぼること数か月、待望のニューアルバムを発表。その完成度の高さから、アジア発インディーポップもここまで来たかと、感涙にむせんでいたところであった。フジロックには何度か足を運んだこともあるので、あの環境で音楽を浴びるのは最高の体験になることはよく解っている。出来れば現地で観たいと思っているけれど、最後に行ってから10年ほど経過してしまっていて、すこし躊躇してしまうのが現状ではある。それでも最近は配信で観ることが出来るので、すこし助かっているけれど。

期待のSay Sue Me。しかしながら開催の数日前に出演キャンセルが発表された。バンドメンバー内にコロナウイルス陽性者が出てしまったことで、出国許可が下りなかったことによるものである。僕を含め、心待ちにしていたファンも多かったと思うが、これはもう仕方ない。それでもSay Sue Meをフジロックで観てみたかった。僕は今までいくつも見逃してしまったバンドがある。ライブはその名の通り生を体感するものであると思うから。キャンセル発表と同時に同年12月に単独来日が発表された。よし、これなら、行ける。

2022年8月。
Say Sue Me、アルバム『The Last Thing Left 』アナログ盤をBandcamp経由でレーベルから直買いした。海外発送なので届くまで時間掛かるかなと思ったけれど、割と早い到着が嬉しかった。若干送料がかさむけれど、レーベル直買いの良さは、ほぼダイレクトにバンド支援にお金が流れるということ。海外通販を利用する上で、Bandcampは何の問題もないので、これからも活用しようと思う。ブルークリアな盤面が涼しさを倍増してくれる。アナログ盤の良さは音質やら色々あるけれど、物として存在し、手に取って眺める素晴らしさが絶大なのだと思う。だから僕はいつまで経ってもやめられない。

同月、12月の単独来日のチケットが入手出来たので早速発券してくる。場所は渋谷クラブクアトロ。クアトロは90年代以降、インディーポップ系アーティストの聖地的ライブハウス。そういえば、今年は1月にFor Tracy Hydeを観たのもクアトロだった。2022年、僕のライブハウス訪問はクアトロに始まってクアトロに終わるのだろう、と思う。

2022年9月。
仕事の通勤は余程ひどい天候でない限り自転車を使用している。日々の運動不足を解消したいという事と同時に、プレイリストを作成して野外で音楽を楽しむためである。自転車は車と違って、圧倒的に自分がむきだしなので、雨も風も、陽射しの強さ弱さも、すべて肌で感じることが出来る。そういう環境下で聴く音楽は、ダイレクトに自分自身に響いてくるので、一度始めるとやめられない。

2022年の夏、僕のプレイリストにはいつもSay Sue Meがあった。インディーポップに熱狂出来るという事は、とても幸せな事であり、良質なバンドと出会える事が嬉しいし、いつだって僕には大切な事なのだ。日々の生活の中で、音楽が占める割合は、若い頃と比較して圧倒的に少なくなってしまったけれど、実際に音が鳴らない環境下にいたとしても、常に自分の中に存在するものとして、それは確固たる位置にある。もはや何の理由も説明も必要ない。全て血となり肉となり、考え方、行動の仕方、その他全ての事情は、そこから派生しているものである。

2022年10月。
前月半ばに膝を痛めてから、歩くことが大変になってしまった。完治するまで時間がかかりそう。こんな状況でスタンディングのライブなんて行けるのか。そこに辿り着くまでの道中、痛みがぶり返したりしないのか。不安要素が増えれば増える程、自信がなくなってくる。健康と体力には割と自信があったほうなので、へこたれている。怪我をしたことで、気持ちがあがってこない、やる気も起きない、気持ちがマイナス方向にしか向かなくなる。こんなことは初めてだ。大抵のことは乗り越えてきた。けれど、たった一度の、自分の過信による怪我で、ここまで気持ちが落ちるものとは、ちょっと驚きというか、現実として、いかに自分が甘かったか、もうこれは自業自得なのだ。地に足をつけて走らなきゃならないのに、空を飛んでいる気分だったのだろう。最初から飛べる訳でもないのに。

2022年10月7日。
Say Sue Me、新しいミュージックビデオが公開される。名曲『Old Town』リワークバージョン。歌詞はそのままでメロディーに変化を付け、バンドアレンジをソフト&ウェットに滑らかにした新解釈テイク。割とサラッと演っているようで、こういう変化を付けられるのは、バンドとしての懐の深さを感じずにはいられない。プレミア公開の時間が仕事中であったのにも関わらず、タイムリーに映像を観ることが出来た。数日後にカヴァー音源集がデジタル配信される(カセットでのリリースもあり)というアナウンスもあり。これは楽しみだ。

インディーポップを10年続けられるのは奇跡であると思う。初期衝動を維持し、初々しさを保つこと、頭で考えるというより、気持ちを維持すること。すべてをクリア出来るのは並大抵のことではない。インディーポップを理解するのはそれほど難しいことではない。けれど、その姿勢を維持するのは、努力だけでは到達出来ないものがある。アジアの片隅で生まれたひとつの奇跡、それがSay Sue Meである。

夏が過ぎ、秋が深まり、冬の入り口までやってきた。日々思うことは、季節の片鱗と共に、自分の気持ちの持ちようを何処に置くかということである。自分は何処から来て、何処を経由して、何処に向かうのか。結末より過程、それこそが最も重要で価値を見出すべき事であると思う。結局のところ、未来なんて誰にも分からない。だとしたら、今を大切にして一歩ずつ歩んでいくことが、日々出来る事のすべてである。見るべきものは、見えない未来より、手を伸ばせば届くかも知れない、時間と共にある現在。そうして道は作られ、その作られた道に残されたものこそが、自分自身なのだ。

2022年12月。
地球の反対側に住む友達が、僕の住む町に逢いに来た。誰かと逢う時、自分から出向くことはあっても、誰かが逢いに来ることは殆どない。想うことはあっても想われたいと思うのは、自然なことなのだと思うからこそ、なんだかすごく嬉しい。

僕は自分が住む町が嫌いだった。閉鎖的でなんの魅力もない、つまらない所だとずっと思っていた。そんな考えが少しずつ変わりだしたのは、実は最近のこと。愛すべきものは、近くにある風景や日常。過ぎゆく時間の流れのなかで、当たり前のようにそこにあるもの。それを愛おしく感じられるようになった。遠くからくる来客が、僕が特別な事と感じないものを、特別な事と思って貰えるのは、幸せな事なのだろうと思う。

2022年12月9日。
ようやく念願のSay Sue Me来日公演。いつものように仕事して、ちょっと早く町を抜け出して、渋谷クアトロへ向かう。今年はずっとこのバンドを聴いていたので、年末に観ることが出来るのは感慨深いものがある。

ああそうか、すでに年末なのか。今年ももうすぐ終わり。いろんなことをやって、いろんなところに行って、いろんな人と逢って、いつもの1年が終わる。特別なようで特別でない、あたりまえの日常を豊かにしてくれるのは、そこに住む人達であり、訪れる友人であり、初めて言葉を交わす新しい仲間であったりする。

結局のところ、僕は恵まれているのだ。膝の痛みも一時期より大分緩和してきた。もう焦ってはいけない。ゆっくり歩んでいかなければならない。感謝を忘れてはいけない。出来ることが限られた事でもいいじゃないか。それでも僕は、想う事が出来るし、自転車にも乗れるし、ライブに足を運べる。友達も逢いにきてくれる。そして傍に音楽。限られた人生だからこそ、日々に感謝。来年も良い年でありますように。

超満員のクアトロって久しぶりだな。

1年間読んで頂きありがとうございました。ここで得たもの、出逢ったこと、いろんな事すべて、決して忘れることはありません。これからも「WebマガジンGO ON【轟音】 」をよろしくお願いします。

後編「Say Sue Meこそが轟音だった」

Creator

HIROYUKI TAKADA

群馬県太田市出身。90年代よりDJとそれに伴うイベント企画、ZINE発行等で活動。最新作は冊子『march to the beat of a different drum』を自身のレーベル『different drum records』より発行(2020年より)。コロナ禍以降の音楽と生活を繋ぐコミュニケーションのあり方を「手に取れる」紙媒体にて「無料配布」で行った。自らの活動と並行して、90年代より活動しているバンド『b-flower』の私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある。