Column

SOFTLY

HIROYUKI TAKADA

「これは習癖ではない。僕は楽しみたいだけ」

僕は<サブスクリプション音楽配信>が好きだ。便利だし、使い勝手も良い。これだけスマホやネット環境が充実する中、これを否定するということは、時代に乗り遅れるということだ。僕は、時代に乗り遅れた化石のような存在になりたくない。最新にはいつも敏感でいたい。楽しみ方はいくつもあれど、そのひとつひとつを否定するところから始めたら、進化はないと考えるからだ。

いろんなアウトプットの方法があるということは、素晴らしいことだと思う。自分と音楽の関わり方もいろいろあって良い。選択肢が多ければ多いほど、楽しみ方も多様になる。サブスク、CD、アナログレコード、カセットテープ、どれを選ぶか、悩めることの幸せ。

一度衰退したものが再評価され復刻・発売されたり、それに伴うアウトプットの充実(レコードを聴くためのプレイヤーや、カセットテープを聴くためのラジカセの復刻など)まで見られれば、ちょっとした経済効果だ。文化とはそういった経済効果に裏打ちされればされるほど、充実した成長を遂げる。

そもそも成長を伴わない文化とは、カルチャーではない。流行り廃りも進化の過程であり、当然あっていい。今も今までもずっとその繰り返し。歴史を否定したら、お終いなのだ。僕は終わりたくない。頭の固い老人になりたくない。社会に順応して、流行を取り入れ、格好よく街を闊歩する、粋な人でありたい。

山下達郎、11年ぶりのニューアルバム『SOFTLY』が先日発売された。待ちに待ったファンは大勢いる。当然大ヒット。達郎の音楽の素晴らしさとは、時代に流されないベーシックなものがずっとそのままであるように聴けるということ。すなわち「枯れない」のだ。だから安心して聴けるし、その「枯れなさ」に感動出来る。でもその「枯れなさ」とは「変化を受け入れる」ということから始まっているのを忘れてはならない。凝り固まった概念に捉われないことから始まる実りある充実したパフォーマンス。だからいつまでも新鮮なのだ。音楽には鮮度が大事。僕も腐った蜜柑にはなりたくない。新鮮さを売り物にする、綺麗で清潔な市場から、朝一で水揚げされたばかりの新鮮なネタでありたいと思う。

最近の風潮として、新作を様々なフォーマットで発売するというものがある。サブスク、ダウンロード、CD、アナログレコード、カセットテープ、などなど。1つの音源を違うフォーマットで発売するという流れは、より音楽の楽しみ方、関わり方を多様化する。

アナログレコードの良さは、音質の良さだけでなく、やはりあのジャケットの存在感に由るところが大きい。持っている感が一番充実するのがアナログレコード。聴くという行為そのものが芸術的になる。CDは衰退しているとは言うものの、そのフォーマットの利便性から、別音源やレア音源を同梱しやすい。むしろ音源マニア向けに1番特化したのがCD。

単にオリジナル音源を楽しむならサブスクがベスト。スマホがあっていくつかのプラットフォームがあれば完全無欠のライブラリー。僕らが夢見たのは、こういうものだった。何でも揃う夢のプラットフォーム、いつでもどこでも思いのまま、は本当にありがたい。

そしてカセットテープ。一度は完全に廃れたこのフォーマットも、今ではそのコンパクトなパッケージの可愛らしさ故に、最も重要なアイテムに復活を遂げた。ラジカセで聴くちょっとチープな音質もその一端を担う、21世紀の最新型プラットフォーム、それがカセットテープ(でも80年代の僕らが目指したのは決してチープな音質ではなく、どれだけ高音質で録れるかが重要であったことを忘れてはならない)。

こうして発売形態そのものが多様化することで、必然的に付加価値への需要度が変わる。価値を見出す上での付加価値はやはり重要なのだ。

さて、今回はどれで達郎を聴こうか。

新作はカセットテープでも発売される。80年代の頃から達郎を聴いてきた僕にとって、カセットで聴く達郎は格別だ。名作ベストアルバム『COME ALONG』は、まさにカセットで聴かれるべき作品の最たる例。小林克也のDJと達郎の音楽がノンストップミックスされていれば、僕らの湾岸ドライブはもう完璧なものになる。そうだ、達郎はカセットだ。そしたら今回の新作はカセットで聴こう。僕に迷いはなかった(後にこの迷いのなさが僕を悩ませるのだが)。

山下達郎の作品はサブスク配信を行っていない。理由は定かではないのだが、おそらくあの低音質がNGなのだと思う。確かにそれは理解出来る。アナログレコードの音質は盤そのものからくるものだけではなく、再生方法によって決まる。つまり小さなポータブルプレイヤーで聴く場合と、プロ志向の立派なオーディオで聴く場合、音の表情が変わるのだ。そしてそのどちらもが、それでしか発することの出来ない唯一無二な音質になる故に、そこに価値が生まれる。

それはCDもカセットテープにも同じことが言える。表現者(ミュージシャン)の求める音を、良質な音で提供出来る、そして聴き手側の楽しみ方に選択肢の幅が生まれる。サブスクはデジタル化されることで、音域に制限がかかる。そこがデジタルとアナログの違い。

音域に制限がかかることで、基本オブラートに包まれたものとなるのだ。聴こえは良いがインパクトに欠けるというもの。端的にそれをノイズリダクションと呼ぶのかも知れないが、ノイズにはリミッターを掛けないほうが、より感情豊かなものになる。ワクワクする音とは、そういう音のこと。何をもって高音質というかは、判断が分かれることとは思うが、僕は「ノイズによって生み出されるものこそが、高音質の神聖なる絶対的な領域」だと思っている。

さて、山下達郎『SOFTLY』。予約しておいたので無事にカセットで入手。サブスクで聴けないから、すごく楽しみ。さあ、封を開けよう…。

そこで、気が付いた。僕には変な癖がある。「開封するのを躊躇う」のだ。どうしてなのかわからない。聴きたくて買ってるのに、開封することを拒んでしまう。そういうカセットが幾つもある。それでも、そのまま未開封で置いておいたとしても、サブスクで聴くことが出来れば何の問題もない。僕はサブスクが好きだ。先に述べた音質の問題は理解しつつ、そのうえで楽しみ方を考えてあるから。便利ならいいのだ。では何故カセットを買ったのか。それは勿論、カセットで聴きたいからだ。予定通り入手できた。では、聴こう…むむ、開封が…(を繰り返す)。

さてどうしたものか。僕は収集マニアではないので、開封することに問題はない。けれど拒んでしまう。最初から封などしていなければ良いのだ。開封済みの中古でも問題はない。(未開封のままであれば尚更)達郎のカセットは市場でレア物として扱われ、それなりに高額になる。でもそんなことは、どうでもいい。聴くために買ったのに。朝起きたら、開封されていればいいのにと思うときもある。ああ、面倒くさい。嫌だ嫌だ。

と、自問自答を繰り返しながら、すでに購入して、もう少しで1カ月になる。未だ未開封。そこで、完璧なるひとつの結論に達した。

「CDを購入して聴こう」。

我ながら完璧。寸分の狂いもない。と、そっと僕は、達郎のカセットを棚に戻した。

CHEER UP ! THE SUMMER 僕たちの夏は まだ終わらない
BRING BACK ! THE SUMMER 虹の中へ WE CAN FLY AWAY
WANNA DANCE WITH THE SUMMER
NEVER ENDING, OUR SUMMER
(『CHEER UP ! THE SUMMER』作詞作曲・山下達郎 )

Creator

HIROYUKI TAKADA

群馬県太田市出身。90年代よりDJとそれに伴うイベント企画、ZINE発行等で活動。最新作は冊子『march to the beat of a different drum』を自身のレーベル『different drum records』より発行(2020年より)。コロナ禍以降の音楽と生活を繋ぐコミュニケーションのあり方を「手に取れる」紙媒体にて「無料配布」で行った。自らの活動と並行して、90年代より活動しているバンド『b-flower』の私設応援団『ムクドリの会』終身名誉会長でもある。