先日、ふと思い出したことがある。
Twitter名言集の中にある「黙って抱きしめるから黙って〇〇」ってやつ。〇〇が思い出せず、即答してくれそうな友人、ボンジュール古本へLINEをおくる。意外にも「出てきそうだけど思い出せない」という返事が届き、自力で記憶を辿っていった。
「黙って抱きしめるから黙って甘えろ」だったような気がするし、「黙って抱きしめるから黙って白目」もアリな気がした。そう、勝手に大喜利が始まったのだ。と同時に、DJあおいに恋愛相談をしたい衝動に駆られ、楽しかった頃のTwitterに想いを馳せた。
あの頃は楽しかったなぁ…、なんてTwitterで出会った人たちや誰にも言えない黒歴史を思い出していたら、「黙って抱きしめるから黙って甘えろバカ」、最後にバカって付いていたことを思い出し、ボンジュール古本にLINEした。
そして私は、とある人物を思い出していた。その名は吉田棒一。
「黙って抱きしめるから黙って甘えろバカ」についての大喜利がめちゃくちゃおもしろかったので、吉田氏の本を無性に読みたくなって自宅を漁った。探したら4冊も持っていた。そして『心臓日記III 』(2014年4月6日発行)にそれが書いてあることを見つけ出した。p125からp130まで「黙って抱きしめるから黙って甘えろバカ」を、その言葉の作者以外で最後まで読める奴がいるか友だちに読ませて、「無理だ読めねー!」って爆笑している会話が続くだけの文章。ただそれだけなのだが、今読んでも笑えた。吉田氏の『心臓日記』シリーズはやっぱりおもしろいし、実は今も吉田棒一の名を見つけると胸がときめく。
震災前のTwitterがおもしろかったから、いまだにそのノリでやっている。つまり私にとってTwitterは大喜利だ。自分のTLを眺めて「私っておもしろいなぁ」とうっとりするのがTwitterだと思っているのだが、私だけだろうか。宣伝で使うのは仕方がないとして、清く正しくクリーンな場所にして何が楽しいのだろうか。ずっとアンダーグラウンドな世界であって欲しかった。
なぜ今こんなことを思い出したかというと、インスタ版Twitter(Threads)が登場したからだ。ここで、<私が考えるSNS>のメモをご覧いただきたい。
個人アカでインスタ版Twitterをはじめたのだが、誰もフォローしない・させない完全密室にして、大喜利の練習をしている。SNSの本番であるTwitterに投稿するための練習場ということだ。SNSに支配されたくないので、一点集中、この使い方におさまった。
大喜利的な名言を残す場所、それがTwitter。私はこのノリでTwitterが滅びていく様子を見守りたい。
「黙って抱きしめるから黙って甘えろバカ」
最後まで声に出して言えたら教えてくれ。