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川勝さんと粋な夜電波と私
1月になると、少しそわそわする。
私の誕生月というのもあるが、勝手に師として仰いでいる川勝正幸氏の命日が近いからだろうか。川勝さんは2012年1月31日に亡くなった。
人の死に対する追悼の仕方は色々あると思うが、故人への深い愛情が伝わる方法をとるのは菊地成孔氏ではないだろうか。
TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」では2012年2月3日「川勝正幸さん追悼特集」を行った。冒頭では菊地氏が川勝さんへの追悼の意をコメント。その後は音楽にのせて、リスナーから届いた川勝さんへのメセージを読むというスタイルで放送した。
菊地氏はただ悲しい気持ちを伝えるのでなく、悲しさ以上に「その人らしさ」を尊重して追悼の形をとるように感じる。だから深い愛情が伝わるのだろう。
当然、私はメッセージを送った。しかも本名で(いつもはラジオネーム「ポム」で統一している)。以下、私が送った川勝さんへのメッセージだ。
『思い出すのは、自分が20歳の頃通っていた東大のポップカルチャーのゼミ。当時のノートには「川勝さん汗かいてる」「派手なバンダナで汗拭う」「以外とピンクが好きなようだ」などノートの端くれに川勝さんのことメモしていた。全授業には参加できなかったけど、夢のような時間だった。ミルクマン斉藤氏と混同していた時期もあったけど。私のサブカルの師匠は川勝さんしかいないよ。本当にありがとう』
最後の方に読まれたのだが、クスっと笑った菊地氏を聞き逃さなかった。
「頼まれていないけど、勝手につくった」精神
センスを感じる映画のパンフレットのほとんどは川勝さんの編集だったと思う。
「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」、「スローガン」、「ANNA」などなど。
ゲンスブール&バーキンは川勝さんから教えていただいたようなもの。
「頼まれていないけど、勝手につくった」などと話しており、「私もやりたい!」って本気で思っていた。「頼まれていないけど、勝手につくった」という言葉について、学生の頃は「私も勝手に好きなものをつくっちゃおう」みたいな軽い気持ちで考えていたが、大人になればなるほど「頼まれていないけど、勝手につくった」なんてことは、安易にできることではないと知る。
「頼まれていない」ということは、お金が発生しない。そのような趣味みたいなこと、大人になれば時間も無いし無駄なことはしたくない、という考えにシフトしていく。
川勝さんは「好き」を貫き、「売れる・売れない」を考える前に「自分の好きなもの、自分が欲しいもの」をつくるということを考え「頼まれていないけど、勝手につくった」のだと思う。でも、川勝さんのつくったそれらはセンスが良く情報も濃いので「売れる」のだ。
私はずっと「頼まれていないけど、勝手につくった」の言葉が、頭の中をグルグルしていた。その時の精神状態によって「やりたい・やりたくない・無駄である」の考えが交差して、何らかの「いかにも社会人らしい理由」をつけて、アクションを起こすことはなかった。
しかし、今年の川勝さんの命日には私は胸を張ってこう答えたい。
やっと「頼まれていないけど、勝手につくった」をやり始めましたよ、川勝さん!
「Webマガジンをやりましょうよ!」なんて誰からも受注していない。
勝手にやっている。「自分の好きなもの、自分が欲しいもの」を頑張ってセンス良く、情報量のある媒体を勝手にやっている。でも川勝さん、まだ売れません。
「でも、やるんだよ」精神
そんな時、私の脳内にはもう一つ、別の師匠の言葉が流れる。
「でも、やるんだよ!!!」
根本敬先生の有名な言葉だ。
周りから否定的な言葉を言われたりしても、自分の人生をかけてやるんだよ!
「でも、やるんだよ」は、社会人になってから知り、落ち込むとその言葉で自分を奮い立たせていた。しかし、その都度疑問が湧く。「何をやるわけ?」
そう、何もやっていない。
映画「キッズ・リターン」の名台詞、「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」。
そんなことを20年も繰り返してきた私だが、2021年はこうだ。
「バカヤロー、まだ始まっちゃ、、、いるんだよ!!!!」
今月の上映作品の紹介を忘れるところでした。
というわけで、今月は「キッズリターン」と「ピンク・フラミンゴ」。
東大のポップカルチャーゼミでジョン・ウォーターズ監督について講義をしていたような。「ピンク・フラミンゴ」のことも川勝さんから教えていただいた。
もう一度みたいか?と聞かれたら、そうだな「ピンク・フラミンゴ」の後に「キッズリターン」をみれば、ちょうど良い精神状態になりそうだと答えよう。
上映後の食事はキツいので、「キッズリターン」ごっこでもして現実逃避でもしますかね。