Feature

自分の好奇心に従い続ける

児玉浩宜

昨年、TOKIONの記事『ウクライナ・空襲警報の下でパーティーは続く「俺達のノーマルを続ける。それは戦争中だろうが関係ないんだ」』を読み、私が知りたいことはこういうことだと気づき、児玉さんに興味を持った。そして写真に対して長らく冷めていた気持ちに火がつき、作品を言葉で伝えるよりも目で見て感じでほしいと思い写真展の企画に至る。8月の写真展開催間近の児玉さんへ、ウクライナのことを始め写真のことなどいくつか質問を投げかけた。写真展の予習として、ぜひ読んでいただきたい。

写真家になったきっかけを教えてください。

私はかつてNHKの映像取材部、いわゆる報道カメラマンをしており、その前は民放でディレクターをしていました。テレビ業界には合計で10年いましたが、そこでは企画書の書き方から、人が持つ興味や理解する流れを学ぶ機会に恵まれていました。

非常に良い経験を重ねることができましたが、リサーチや取材、撮影、編集、放送といった流れのなかで関わる人も大勢います。また、組織に所属していると、必ずしも行きたい場所に行きたいタイミングで行けるとは限りません。

国内だけでも災害取材が多く、事件や事故、震災や土砂災害、洪水や台風といった取材で日本全国に行きましたが、滞在時間も短いのが事実です。当然ですが、求められる映像表現は情報を含めた具体的で説明的なものが大半でしたが、私はもともと、言葉にしづらい抽象的な表現のようなものに興味がありました。子どものころから絵を描くのが好きだったからかもしれません。

これと言って大きな出来事や体験があって写真を撮るようになったというわけではなく、ただ自然な流れで写真を撮るようになりました。テレビはどうしても機材が多くなってしまいますが、私は身軽な状態が好きだったというのもあると思います。

ー どういった思いから戦時下のウクライナで撮影をしようと思ったのでしょうか。

そうした質問をされることは多いのですが、はっきりと答えることができません。まだ自分のなかで整理できていないのだと思います。

もし何か答えるとすれば、報道カメラマンとして働いていたころに、広島で戦争の体験者について取材やインタビューをする機会が多くありました。それらは非常に重要な取材でしたが、同時に、過去のイメージを自分で具体的に持つ難しさや自分の想像力の限界を感じていました。

そういった経験があったから、今起きている戦争とはどういったものか、より具体的に知りたいと思っていた時に、ロシア軍によるウクライナ侵攻が発生しました。これまで、香港の民主化デモの取材の経験はありましたが、戦争の起きている国に行くことは初めての経験でした。

1、2日悩みました。同時にワクチンの接種証明書の用意やPCR検査の予約などで忙殺されていて、はっきりとは覚えていませんが、結局のところ恐怖心よりも好奇心が勝ったのでしょう。発生から4日後には日本を発つことができました。興味を持ったことで行動に移すというのは、自分のなかでとても自然なことです。

ー 昨年に3度、今年になって1度ウクライナへ足を運んでいますが、児玉さん自身の心境の変化はありますか?

侵攻直後は情報が混乱していたり錯綜していたため、自分1人で考え、判断して行動することの難しさを感じました。ただ、写真家仲間の髙橋健太郎に自分がどこにいるか、これからどこに向かうか、という連絡を必ず入れるようにしていました。

何度もウクライナに入ることによって恐ろしさに慣れてくるというより、より具体的な情報が掴めるようになってきました。また、自分が恐怖に慣れてきているなと感じることもありますが、そのことに客観視できているうちは、まだ大丈夫だと思っています。恐怖を感じることは常に必要だと思っています。その感覚が自分の身を守ってくれると思います。

ー では、ウクライナへ足を運ぶことで感じた人々の変化について教えてください。

侵攻が起きた直後では、戦争の恐ろしさ、困難な状況、プーチンの愚かさについて語る人々が多かったと感じました。しかし、何度か足を運んでいるうちに、「明日の予定について」とか「どうやって稼いで食えばいいか」といったより日常的な話をする人々が増えたように感じます。

死と隣り合わせにある暮らしを、人々が受け入れ始めたのかもしれません。しかし、これはタイミングや場所によって違いがあるものなので、明確には言えません。

ー 児玉さんの写真は、テレビや新聞で見る悲惨さを訴えるような報道写真と異なりますが、それはなぜですか。

いわゆる報道写真というと一般的には限定されたイメージを想起させると思いますが、実際にはそうではありません。様々な写真家が、様々な表現手法を模索して実践しています。私の写真は現場を客観的に捉えるのではなく、主観的な部分が多く入るようにしています。私が感じていることや思っていることを他人に伝える手段として写真を使っているとも言えます。

また、私が目の前で起きていることや感じていることを理解するためにも写真を使っています。「見えないものを見せる」というと大袈裟に思えるかもしれませんが、ニュース映像だと良くも悪くも視聴者との関係性が確立されてしまっています。写真は見る側とのコミュニケーションの手段であると同時に、関係性にゆらぎのあるもっと自由なものだと私は思います。

ー 児玉さんが撮影しているのは若者が多いですが、何か撮影する基準みたいなものはあるのでしょうか?

実際には多様な年齢層の人々を撮影しています。私はウクライナ語やロシア語を話すことはできませんので、通訳を雇わない場合は、簡単な英語や翻訳アプリを使って会話することもあります。そういったコミュニケーションツールを使いこなせるのは若年層が多いのも事実です。

ー 現地で写真を撮った人の中で、印象に残っている人やエピソードを教えてください。

ドネツク州を撮影したあと、通訳が運転する車でハルキウに戻る途中、何度も軍や警察の検問に遭いました。その都度、パスポートや記者証のチェックをされます。

通訳は破天荒な性格の男性で、検問の度にうんざりしており、最終的には「地元のコサックと日本のサムライが通るんだ!もういいだろ!」と運転席の窓から吐き捨て、猛スピードで通過していきました。私は冷や汗をかきましたが、通訳は笑っていました。

ー 今年ウクライナへ行った時、最も思い出に残っている1日があれば、その日の出来事を教えてください。

あまり思い出したくはないのですが、ヘルソンに到着した日、郊外のスーパーマーケットの広場で中年の女性に声をかけられ、自宅へ招かれました。言葉は通じませんでしたが、彼女はとても友好的で、身振り手振りで会話していました。

彼女の写真を撮らせてもらった後、外へ出て歩いていると、彼女が走って追いかけてきて突然私を殴り始めました。ポケットに入れていたパスポートやカメラレンズを奪われ、取り返そうとすると押し倒され、彼女は馬乗りになって私の首を力強く絞め始めました。

ヘルソンは多くの人々が避難しており、街にはほとんど歩行者がいない、爆発音だけが響くような場所でした。無理に抵抗しても、その後軍や当局に連行されたり拘束されたりして、事態がさらに厄介になる可能性があったのです。

幸いなことに、その場に居合わせた少年が目撃し、通りすがりの車を止めて運転していた男性を呼び寄せてくれました。男性が女性を押し倒し、「急いで逃げろ」と私に告げたので、私はその場を走って逃げました。

今でも、首を絞められたその強さは感覚として残っています。なぜそんなことになったのか、未だによくわかりません。彼女も何かしらのストレスを抱えて生きているのかもしれません。

2ヶ月後、その同じスーパーマーケットにミサイルが落とされ、23人が亡くなり46人が負傷したというニュースを見ました。

ー ウクライナにいる時、緊張が解けることはありますか?

比較的に安全な街にいる時には少し緊張が解けることがありますが、それでもミサイルはどこにでも落ちる可能性があります。

例えば、ロシア軍が迫っている危険な街、ヘルソンは市内を流れるドニプロ川の対岸がロシア軍の占領地でした。対岸では空爆のせいで、黒い煙が上がっているを見ながらその川沿いを歩いていると、小さな売店が営業しており、ジュースやスナック菓子を購入することもできました。音楽を聴いたり本を読むことはありません。

ー 児玉さんは色々な場所へ移動して撮影をしていますが、旅をすることが好きですか?

旅をすることは、私のあらゆる活動の原点だと思っています。ただ自分が見たことのないものを見たい、会ったことのない人たちに会いたい、そういう思いがあります。

ネパールの山岳地帯をバスの屋根の上に乗って移動したり、アメリカのサンフランシスコ郊外を自転車で走ったり、様々な思い出があります。

香港の民主化デモも、香港へ何度も旅に出かけて知人、友人ができて、彼らに呼び出されるように現地へ向かった、ということがありました。自分が移動さえしていれば、あとは受け身で様々なことが起きる。それが旅の魅力でもあると思います。

ー 児玉さんのウクライナ日記やnoteの文章を読むと、フラットな目線で書かれているように感じますが、物事を伝える時に意識していることを教えてください。

私は自分が目にしたものや耳にしたことを、主に日記のような形で書き留めています。その体裁のほうが、より読みやすさや親しみやすさがあると思います。姿勢については、特に深く意識することはありませんが、写真と同じように自分のできる事や好みに素直に従っているのだと思います。歩いて物事を考えたりメモをとることが多いので、そういうことが作用しているのかもしれません。

ー 今後、ウクライナでの活動はどのように考えていますか?

何度か通っているうちに友人もでき、また馴染みの場所もあります。ウクライナで起きていることは、一見遠い地で起きている出来事のように思えますが、実際には我々の生活にも影響を与えています。ウクライナでの戦争は、地政学的な影響だけでなく、人間の生活、個々の人々の命にも大きな影響を与えています。

私たちは、そこで何が起きているか、どういった影響があるのかを理解し、それに対する我々の立場を考える必要があります。今後のことはまだ具体的に考えられませんが、それは現地のウクライナの人々も同じではないでしょうか。今後、時間をかけて考えていきたいです。

ー ウクライナ以外で、興味関心のある国やできごとを教えてください。

やはり、香港という街に興味があります。民主化デモがああいった結果になってからまだ現地に行けてませんから。どのように人々の意識が変化したか、街の風景はどう変わったのか、とても興味があります。

ー 今後の児玉さんの活動方針について教えてください。

私は写真そのものにとても強いこだわりがあるほうではないと思います。これからもずっと写真だけを追い求めていくという強い意志があるわけでもありません。もしどんなことを続けていくかと言うと、自分の好奇心に従い続けること、それだけです。

ー 今回の写真展について説明をお願いします。

展示開催に声をかけていただき、とても感謝をしています。群馬県桐生市にある有鄰館はとても大きな施設です。これまでできなかった大型のプリントを多数、展示する予定です。

写真を展示するという経験は何度もありますが、この規模で開催するのは初めてのことです。ぜひご覧いただければ嬉しいです。

Creator

児玉浩宜

1983年兵庫県生まれ。民放報道番組ディレクターを経てNHK日本放送協会に入局。報道カメラマンとして、ニュース番組やドキュメンタリーを制作。のちに、フリーランスの写真家として活動。2019年から2020年にかけて現地で撮影した香港デモ写真集『NEW CITY』、2021年デモで使われたバリケードなどを撮影した『BLOCK CITY』を制作。2022年3・5・9月、2023年2〜3月に、ロシアのウクライナ侵攻を現地で撮影。テレビ朝日や民放各局への映像提供、ウェブメディアへの写真提供、執筆など行う。写真集『Notes in Ukraine』を2022年12月に発売した。