Column

8歳児と猫

PEANUTS BAKERY laboratory

先日、甥と母とスヌーピーミュージアムに行った。計画では甥っ子のお母さん(妹)と姪の4人で行くはずだったが、朝、姪が発熱したとのことで急遽そのようなメンバー構成となった。

メンバーの変更により甥っ子と自動的に至近距離になることが決定しソワソワしはじめた。まあ、予想通りすぐに展示に飽きて「ねぇ、まだ?もう僕次のところ行きたいなぁ」なんて下から見上げられながら、ピーナッツの展示なんて集中して見られるはずがないんだ。私も母もスヌーピーが好きだから本来なら谷川俊太郎の訳をじっくり読みながらニヤリとしたり、全然スヌーピーと似てない特徴ある兄弟たちをつっこんだりしながらゆっくり回りたかったけれど素直にあんなに退屈そうにされながら、自分の意志を貫く気力はなく早々に後にする。すでに弱気な自分に気付いた。

その後「お昼は醤油ラーメン一択!」の鶴の一声によりラーメンを食べ、流れるような巧みな誘導で自動的に猫カフェへ。

私にとっては初めての体験だったので自分がどんな心境になるか想像もつかない猫カフェ訪問だった。まず、入場料金に高いもんだなぁと感じながら入室したが、そのあとはほぼ無感情というか、常に知らない人間に触られエサを不規則に与えられてすごくおとなしいプライベートゼロ環境のネコたちが気の毒に感じられて、ストレスすごいだろうなぁと思った。猫を撫でては愛おしくなったりほんわか癒されるのかと淡くイメージしていたけど、撫でても触りもせず膝に乗りかかりそうになれば鳥肌が立ち、身をこわばらせていたら30分が過ぎたので退出した。

結局、おんなじなんだなと思った。
急に距離を詰めて来られることが苦手だし、自分でも詰まらないように配慮して生きている。メンタルでもフィジカルでも。それはまだ若い時に、近くなりすぎるとハッピーというよりはネガティブな感情が多くなって息苦しくなることがたくさんあったので、自分が生きやすくなるために徐々に後から身につけてきた方法だった。そのおかげで今はだいぶ安寧に生活している。選択すべてがその環境を手に入れる理由だったかもしれない。

それで今までは充分と感じていたが、本当に充分なのか?と疑惑が最近急に沸いてきた。甥っ子も猫も私の気持ちなど想像もせず急に無防備に接近してくる。後ずさりする間も無く踏み込んでくる。もし、今そこで私も一歩近寄っていったらどうなるんだろうなぁ。もしかしたらそこにこれからの私の人生の後半戦に必要な学びがあるんじゃないか?満足していたものの底の浅さを急に見せられた気持ちに今なってきている。注意深く良きものとして選択したはずの世界は非常に限定的な狭い世界だった。

社会の役に立つってなんだろう?
もちろん今の仕事だって毎日人と関わっているし、食べ物を作ることだって人の命に関わることなんだけど、ダイレクトに深くコミットしていく必要があるのではないかなと漠然と思い始めている。もっともっとやさしく生きるためには何かを変える覚悟を持たなくてはいけない。それが好奇心のままに赴く、全く新しい違う視点から未知の学びや壁に向かうことからなのか、今まで育ててきた手持ちのカードを使って深く切り開いていくことなのか……。今はまだ考えている。

美術の専門学校時代、同級生が「写真を撮るときは撮りたいものに向かって必ず一歩足を前に踏み込んで。気持ちがちゃんと入っていい写真が撮れるんだ」って言っていた。

きっとそういうことなんだ。

Creator

PEANUTS BAKERY laboratory 長谷川渚

1980年生まれ、神奈川県秦野市存住。パンを焼き、菓子をつくり、走る人。開業準備中。屋号は幼少期から常に傍らに居続けるSNOOPYのコミックのタイトル、及び秦野市を代表する名産物である落花生から。「laboratory=研究室」というと大袈裟な聞こえ方だけれど、かちっと決めてしまいたくない、常により良さを求めて試行錯誤する場所、自分でありたいという思いを込めて。