Column

正しい街(それと自分)の詰まらなさ

PEANUTS BAKERY laboratory

「正しさ」「らしさ」から逃げ出したくなる時がある。
6月はそんな月だった。

花見の頃に轟音編集人の牧田氏が「ワンカップ大関が転がってない、風情がない」と言ってたような気がする。たしかにランニングをしていても、犬の糞を避ける必要もなければ道沿いの家々も浅茅が宿などなく(80年代後半から90年代前半はまだあったのだ)、玄関周りはそれぞれ手入れの行き届いた季節の花々で彩られている。

いつから今のようにクリーンな町になったのだろう…。テープの伸びきったビデオカセット、雨に濡れたグラビア雑誌、大人サイズの靴の片割れ、河川敷にはパンクして草の生えた車…あらゆるものが打ち捨てられていた。いつの間にか野犬もいなくなれば図書館で開館から閉館まで過ごすホームレスもいなくなり、国道246号線を毎週末一晩中爆音で走り続ける暴走族もいなくなった。

母と弟と3人での毎日の自転車買い物ルートには、子どもにニコりともしない受付の老女がいる公民館に貸本屋と古本屋巡りが、日替わりの今でいうサードプレイスになっていた。薄暗い公民館でゾクゾクしながら『はだしのゲン』を読み(うじ虫がたくさん描写されていたので家に持ち帰りはしたくなかった)、貸本屋では毎回楳図かずおの恐怖漫画と赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズと明星をねだり(今思い出すと僅か10坪ほどの店内の書架に楳図かずお、つのだじろうの著作がほぼ全て網羅されていたのだから店主のチョイスにかなり偏よりがあった)古本屋では毎回1冊自分なりに吟味して買って貰っていた。

しかし、その大好きだった3箇所もとうに姿を消した。

ついでに、色付きサングラスにペラペラ素材の縦縞シャツを着た愛想一切無しのおじさんが店主の小さなサンリオショップ『ゆうかり』も無くなった。子どもながらに、全体的にピンクのサンリオグッズが並ぶ『ゆうかり』の狭いカウンターの中にいつも居るおじさんには違和感しかなかったものの、2階に上がるとスヌーピー商品も揃えていてかなりセレクトは充実していただけに悔やまれる。

全て25~30年ほど前にはあった風景と場所。ふと記憶から蘇る断片的な映像って、桜が美しく咲く様よりも、宴の翌日地べたに横たわるワンカップ大関だったりする。懐古というより違和感が街のあちらこちらに点在しているのは、面白かったなと思う。

錆びれた景色のある写真集。この写真家が好きです

本来なら黙々と今が旬の梅やプラムの果実の加工について調べたり、がんがん作業していたかったのだが、今月はなんだか仕事で矢面に立たざるを得ない局面が多く、もっともらしい事を発言してそんな自分を帰宅後に恥じたり、そんなことが繰り返されて集中力が低下してしまった。

些細な経験を元手に組織と対峙しなくてはいけない時に、頭がかちこちに硬くなっていることがわかる。声高に主張する正しさ、らしさとか、もっともらしさなんてあやしいもの。今の環境にも人にもとても恵まれていると感じてはいるけれど、ここにいる限りはずっと私は一般的な正しい制服を着なくてはならない。組織に所属するということはそういう事でもあるからしかたないけれど、私はそのためにこの街に戻って来たんじゃない。違う目的のために船に乗ってきた。

<「選ぶ」とはどういうことか。それはつまりほかの選択肢を捨てることである>
吉本ばななさんのエッセイの一文を思い出した。(よしもとばなな『人生のこつあれこれ2012(新潮社)』より)

と、ここまで書いてきてやっと、ふっと気持ちが軽くなってきた。自分の船をすでに漕ぎ出している(選んだ)のだから迷わず真っ直ぐ進めばいいんだ。中途半端に進むと船が迷子になってしまう。

この街に、大多数には必要とされないであろう違和感とおかしみのある居場所を作りたい。秦野市を出る前の自分みたいに、そんな場所を必要とする人のために。

今回の轟音コラムは、原稿を書こうとしても着地点が見つからず進まなくて苦しんだが、最後の部分で光が見えてきて完全に自分のためのコラムになってしまい申し訳ない。

自分で自分を窮屈に追い込んでしまっている時は、顔を上げて合田ノブヨさんの絵を見る。限りなく自由な気持ちを取り戻す

Creator

PEANUTS BAKERY laboratory 長谷川渚

1980年生まれ、神奈川県秦野市存住。パンを焼き、菓子をつくり、走る人。開業準備中。屋号は幼少期から常に傍らに居続けるSNOOPYのコミックのタイトル、及び秦野市を代表する名産物である落花生から。「laboratory=研究室」というと大袈裟な聞こえ方だけれど、かちっと決めてしまいたくない、常により良さを求めて試行錯誤する場所、自分でありたいという思いを込めて。