Column

笑えないライブってあるよ全然

ボンジュール古本

前口上
お笑いライブを見に行ったからといって、いつでも笑えるわけではない、と状況も関係も異なる3人に話したら大変に驚かれて、各々がこんな返答だった。

A「ライブっていつもおもしろいのだと思っていた」
B「笑いたくて行っているのに笑えないなんて、損した気分になりそう」
C「すごく売れてる人達を見れば、笑えるんじゃない?」

あくまで私の場合

笑いに行ってるんだから私だって笑いたいが、こればかりは自分だけで成立することではないので、「今日はどうかな?笑えるかな?」というくらいの程よい気持ちで見るようにしている。見ることを楽しみにしすぎて興奮状態でも楽しいが、それはあくまで興奮がもたらした30%増量みたいなもので、同じネタを別の日に見ると、印象が違うなと感じることはいくらでもある。

演者のネタのチョイス、その日の出来、相方どうしのテンションなど、理由は無数に挙げられる。観客の方だって、昨日彼氏の浮気現場に遭遇してものすごいダメージくらってる人とか、お笑いライブを初めて見に来て超ワクワクしてる人とか、バイト先の店長と折り合いが悪く来週あたりクビになるかもという心配を抱えている人とか、様々な状況の人々が集まっている場なので、少し雑な言い方になるがいわゆるお客さんとの相性、のようなものは少なからずあると思う。

笑えなかった時は、ただ演者のおもしろい、とお客さんのおもしろい、がかみ合わなかっただけのことだ。同じネタなのに別のシチュエーションでやればものすごくウケる時もある。

いや、だから私の場合

行ったライブで笑えなかったからといって、その芸人が売れてるか否かはあまり関係ない。無名の芸人をわざわざ見に行っているのだし、有名だったとて、だから劇場でも笑える、ウケているとは全く限らないしそもそも行く前から絶対に笑えると言い切れるライブなどほとんどないと思う。

どんなに売れている芸人でも、最初からおもしろい人などいない。舞台をすべりまくり鍛錬を積みまくり数千ステージをこなしまくり、やっと一部の大衆からウケて、そこから認知されていく。

それはともかく、例えば売れている芸人が劇場などに出演した時、型にはまったような、毎度同じ事を繰り返すような“こなれ感”が見えると、辟易してしまう事がある。舞台上で、なに(おもしろいこと)が起きるか、そもそも起きないのか、それすらわからない。わからないということを理解した上で見ると、わりと客観的になれるような気がする。

数年前、ある芝居の観劇へ行った。脚本家も音楽も好きなスタッフが揃い、誰もが知っている有名な女優がキャスティングされていた。無条件で見ると決めて安くはないチケットを購入し、数ヶ月前から心待ちにして、当日高揚した気分で池袋芸術劇場へ向かった。

しかし、見終えた後の感想は「なんかいまいち」だった。なぜか、絶対におもしろいに違いないと、過度に期待をしていた。これがきっかけとなり、観劇においても少し落ち着いた気持ちでいた方が、響いたセリフや好きなシーンをじっくり楽しみやすいと思ったことがある。しかし不思議と、いまいちだと思ったその芝居のことは、やけに覚えているのだ。ていうか9,000円も払ったのだから、簡単に忘れるわけにはいかないんだよ。

だから私の場合だと言ってるだろ

NHK『最後の講義』という番組がある。各業界の第一人者が、人生最後の覚悟でメッセージを贈る、という内容だ。先日見た回は俳優の柄本明が出ており、スタジオに集まった舞台俳優を目指す老若男女の受講生たちへ向けて講義を行う、というものだった。舞台やドラマで、もう50年以上演じ続けているそうだ。

ステージでセリフを読む受講生たちに、柄本さんは問いかける。
この演技は、果たして“できている”のか。なぜ“うまくやろう”とか思ってしまうのか。そもそもなぜこんなこと(芝居)をしているのか。

放心状態にも困惑気味にも見える生徒たちに向かって、柄本さんは笑いながら、俺にもわからねえんだよ、と言った。わからないまま、やり続けているということだった。

舞台の大小関係なく何度も何年もかけて、ひたすら板の上に立ち、演じる。もしかして、こういうことかな?とわかりかけて、わかったと思った途端に、おもしろさは逃げていくという。この回の収録は4時間に及んだらしいが、放送時間は50分程度で、もっと見ていたいと思わせる内容だった。

ワークショップ中、柄本さんが事あるごとに突然ククッと笑うのだが、その笑顔がなんとなく怖かった。何かを企んでいるようにも、全てを諦めているようにも、演技に取り憑かれているようにも見える笑顔だった。

芝居とお笑いは別物だが、通ずる部分はある。

ある程度、フォーマットにのっとった漫才などは笑いが起きることが予想しやすいが、ではなぜおもしろいのか、と問われると言語化できない。逆になぜおもしろくないのか、の返答も私は持ち合わせていない。わかろうとしなくてもいいし、そのうちわかる時がくるのか、或いはこないかもわからない。そして、わからないものがなぜ好きなのか、なぜ惹かれるのか、説明のつかないものはとても魅惑的だ。