Column

ゴッドタンの「お笑いを存分に語れるバー」をリアルにやりたい

ボンジュール古本

前口上
「『限界』3号という雑誌がある」と教えてくれたのがHさんで、「お笑いを語る人びと」という特集だった。冊子は完売していたので読むのは諦めていたところ、後に購入したHさんが貸してくれた。芸人へのインタビュー、批評家やお笑いを見るのが好きな人等の原稿が掲載しており、大変読み応えのある内容だった。教えてくれたHさん、ありがとうございます。

まだ未熟なジャンル「お笑い」

「お笑いを語る人々」がいる。いいなあ、その中に入りたい。大きなくくりで言えば、もしかして私も入っているのだろうか?毎月このコラムを掲載して頂いているが、正直なところ、今でも毎月「今回は何を書けばいいのだろうというか何を書きたいのだろうというか何で書いているんだろう」と思う。

人が人に伝えたいことがあったとして、全力で説明しても自分と相手の感じ方に相違は必ず起こり、熱量も情報量もそれがどのくらい素晴らしいものかも、全て与えることも受け止めてもらうこともできない。だったら「おもしろかった」「美味しかった」のシンプルな言葉だけで充分だと思い、こういった単純なキーワードがものすごく重要で強いものに見えてくる。

こう思うのも、私に思い当たる節があるからである。今より若い20代とかの頃は、物事を複雑に説明することが格好良いことだと思い込んでいた。これはエゴそのものであり、伝えきった気になって満足しているのは自分だけで、相手の顔は「?」のままだった。

漫才師霜降り明星のネタに「長くてつまらない話」をする粗品扮する孫に、せいやおじいちゃんが「短くておもしろい話」を披露し、孫を感心させ話術を指導するコントがある。短くておもしろい話がいかに相手に伝わりやすいかを説明した内容だ。

もしくは幼児向け絵本等にある、これだけを伝えたいという作家の最小限度の言葉。ストレートな言葉がふんわりと、時にぐさりと胸にくるものがあり、自分が疲労している時などにうっかり手に取ると泣いてしまったりする。人に何かを伝えるのは、簡潔に、わかりやすく、重要なポイントだけで充分なのだ。

ただ、たまにはどうでもいい話をだらだらとしていたい時だってある。話しの内容が無駄であればあるほど、意味のない叫びであればあるほど、その雑談は意味をなす。

そんなときは、それが許される友人や身近な人に、思い切り甘える。「…で、その話しのオチは何なの?」などとは間違っても絶対言わない人との無駄話こそ、思いがけない話しの広がり方を見せ、展開し、忘れていたことを思い出したり、なにかに気づいたり気づかなかったりする。こういう場がわりと重要で、ゆとりのようなものを感じる。

なぜ素人のお笑い語りが評論までたどり着かないのか

漫才師米粒写経のサンキュータツオさんは、大学の講師も務める日本で唯一の学者芸人だ。『限界』3号インタビューの中で、タツオさんが象徴的な事を言っていた。

「お笑い語りが評論のレベルに達していないのは、結局自分語りになってしまっているから。笑いを、わかったとかわからなかったとか、好みとかのレベルに留まっているから」というもので、とても納得した。

そもそも笑いを論じるとはどういうことなのか。私はお笑いを語りたいのだろうか?だとしたらお笑いの、何をどう語りたいのか。今思いつく限りでは単純なものだ。

・よくできたコントはなぜ何度見ても笑えるのか。
・今の「袖芸人(ネタを見るため、舞台袖に人が集まる芸人)」。
・全く売れていない芸人の、かなり卑屈な内容のブログががなぜかとても気になってしまう理由。
・芸人の業界はなぜこんなにも色々なことが保守的なのか。
・「自分は“わかっている感”」を出したがる心理。

挙げていたら無限に出てきそうなのでこの辺にしておくが、そもそも「語る」という言い方が大袈裟なのであり、ただ言いたいだけという方が相応しい。

私は、笑いを批評したり、論じたりできたら格好いいと思っているが、自分にはそんな技術も文才も無いし…などと言うのはもうやめた。それをしたかったら、自分の思うそれをすればいいのである。

しかし語るというと何らかのオチをつけなければならないイメージがあり、私が語ったところでオチがつかない気がする。お笑いなのに、それでは格好がつかないが、言いたいだけならそれでいいのだ。それでもオチはできるだけつけたいから、私もせいやおじいちゃんに指導されたい。

「みんなお笑いにグルメなふりをしているけど、全然味わえていない」(サンキュータツオ)

タツオさんは「自分がおもしろいと思わなかった人達のことについて、どう思ったか、どう考えるのかをもっと議論して欲しい」とも言う。

自分の「好き」の輪郭をつかむためには、自分の好きじゃないものについて考えた方がよいとのことだった。これは映画や小説、文化的なあらゆる事に通ずる。

以前GO ON牧田編集人との雑談中、とある映画が最悪だったという共通の感想があった。どの部分がどうクソだったかについて熱心に話し合ったことがあり、むしろ好きな物事についてのことを話している時より盛り上がった覚えがある。この現象については、また編集人と話したい。

先日「ツギクル芸人2023」というお笑い賞レースの生放送中、出場者の全芸人がおもしろすぎてすごいというメッセージを冒頭のHさんと送り合った。

Hさんとは、おもしろいと思わない芸人についての話しをしたいと思っていたが、あまり盛り上がらないかもしれない。

少し残念だ。