以前からSNSで自分がつくった食べ物を載せているからか「料理がお得意なんですか?」なんてたまに訊かれることがある。僕が適当につくった食べ物を、はたして『料理』と呼んでいいものなのかわからないのだけど、料理をするのはけっこう好きかもしれない。
といっても、『美味しんぼ』(当時としてはかなりリベラルな漫画ですね)みたいな、厳選した材料をつかって、最高の調味料をつかい、五感を駆使して卓越した技術で…みたいなのを気取るとか、ビーフシチューとかパスタとかハムオムレツとかの洋食を男が上手につくってシャンパンとともに…とかそういのではなくて(実際そういうのかなりカッコ良くてうらやましい)、もっと生活感のある、自炊を工夫したような料理だ。『1人暮らしのオレやアタシの家庭の味』といってもいいかもしれない。
正確な号は憶えていないんだけど、おそらく90年代に発行された雑誌『Esquire日本語版』にアメリカのコンテンポラリーライターの特集が載っていて、そこにスチュアート・ダイベック(『シカゴ育ち』白水社/柴田元幸訳など)の寄稿があった。
記憶もホロロだけどどんな内容だったかというと、小説家として小さな出版社からデビューしたての人間は、よほど恵まれた者でなければ、お金もないなかでとにかく書き続けなくてはいけない。書き続ければ腹も減る。外食はお金がかかるし、なによりその時間を良質な文章の小説を書くためにつかわなくてはならない。どうしたものか?
そこで登場する『駆け出し小説家のための自炊レシピ』が『オリジナルトマトソース』だ。安売りで買いためたホールトマトの缶詰とスパイス、その他自分の好きなものを鍋にブチ込んで、トマトの形がなくなるまで弱火でコトコト煮込むだけ。その傍ら、小説を書く。
こうしてできたトマトソースは冷蔵庫で保存も効き、色々つかえる。茹でたパスタにかけても美味しく、炊いたライスにかけても美味しいし、残りもののトーストやバゲットと野菜があれば夜食のサンドウィッチに変身。というようなものだった。
なんのことはない、とくに手間のかからないその見たこともないトマトソースを想像すると、なんとも美味しそうでとてもカッコ良く、これはもう自炊を超えた『さりげない大人のおしゃれな料理』のように感じた。
それから時を同じくして、新宿歌舞伎町のそばの新宿通り沿いにある24時間営業の喫茶店でアルバイトをはじめた。場所的にもかなりガラが悪く、かなりおもしろい喫茶店だったんだけど(まだあるのかな?)それはおいといて、アルバイトで覚えたサラダやドレッシングや軽食などなどをつくるようになった。大学へ入学してすぐのころだった。
そんなこんなでいろいろあって「料理」をつくるようになったわけである。
そのころ大学ではクラスの飲み会があったり、授業も慣れてきたりしてみんな友達ができはじめた。東京に出て来て1人暮らしをはじめたばかりの人がけっこういたので、そのアパートに何人かで集まって飲み食いをするという、ごく普通の学生同志のちょっとした家飲み会が毎週のように行われるようになった。昼間学校に行ったあとに夜の11時までバイトがあったって、その夜クラスの飲み会があれば絶対に行くなんて人もいた。
若いということは、いろんな意味ですばらしいことだ。僕もよくお声がけいただいてクラスの飲み会に参加し、そこにつくったものを持って行ったり、材料を持っていって簡単な料理をしたりしていた。
学校にベンツで来るようなお金持ちの友達の家飲み会にも誘ってもらって参加したことがあったけど、それはまあおいといて、普通の学生はお金をもっていないから、なるべく安上がりに、自ら工夫をして、美味しく、そして楽しくて、さらに欲をいえば、これまでのことやこれからのいろんなことを語りあえる時間を過ごしたいと、ほとんどの人は考えていたのかな。
まだSNSもないし携帯電話なんて誰も持っていなかったころで、クラスメイトと行き会えるところといえば、大学の図書館か授業の教室や休講のお知らせが貼ってある掲示板の前だった。
そういえば、どうやって連絡を取り合っていたんだろう?なんであんなに都合良く集まれたりしたのかな?留守番電話機能付きの電話を公衆電話から聞いて確認してたんだっけ?そうだった気がする。
「今日3限終わったらユッコの家に集まってま~す。買い物は各自でよろしく~」みたいな留守電をリーダー格の女子が残してくれたものを出先の公衆電話から確認する。一方で、「今日地政学の授業の後、日文科の岸本さんと史学の鈴木くんたちと『プラ座』で飲むのでよかったら来てね~」なんてのも残ってたりするから、こうなるともう大変。
「ちょっと待てよ。ユッコちゃんとこだとカナちゃん来る確率高いから行っておきたいよな~。でも日文の岸本さんは話したことないけど、おもしろそうな女の子だからこっちも行きたいよな~。史学科の鈴木はいけ好かないヤツだから死んでしまえ」、なんてほんとにくだらないことで悩んだりしていた。ほんとにバカバカしくて、今思うととても楽しい時代だった。話がだいぶそれたけど、そんなふうにして学生時代にアルバイトと学園生活をとおして僕の『料理哲学』みたいなものが確立された。
いろんなものをつくったけど、今思うと、卒業するまで1番たくさんつくったものは多分トマトソースだと思う。前出の作家のトマトソースにアレンジを加えたものだ。いくら安くて美味しいといっても、同じ味のトマトソースばかり食べていると飽きてしまうので、主に3種類の味のものをつくるようになった。
まずはプレーンな塩とニンニクのトマトソース。これはまあ普通のトマトソースで、汎用性も高い。友達と鍋をやるときなんかこれを持っていって、トマト味の鍋にすると喜んでもらえる。
次にカレー味。これもとてもつかえる。プレーンな卵焼きと、このカレー味トマトソースをつけたサンドウィッチなんてのも美味しくて、よくつくって食べた。
そして最後がしょうゆ味。これ意外におすすめ。これなんか残ったそうめんを茹でてからめると簡単で美味しい。まあこんなぐあいに、生活の中で必要にせまられて育まれた僕と料理の関係は今も続いている。